もなく、旧いものの壊《こわ》れる日が既に来ていたろうかとは、母のような人でなければ疑えない事であった。先代を助けて店をあれまでにした母として見たら、新しい食堂なぞに新七の手を出すことは好まないと言うかも知れない。しかし、お三輪はどこまでも新七を信じようとした。
 母はまた、年をとるほど好き嫌《きら》いも激しかった。そのためにお三輪の旦那とは合わないで、幼少《ちいさ》な時分の新七をひどく贔屓《ひいき》にした。母はどれ程あの児を可愛がったものとも知れなかった。この好き嫌いの激しい母が今のお富と一緒に暮しているとしたら、そこにも風波は絶えなかったかも知れないが、しかしお三輪は唯の一度もお富と争った事がない。「そうかい、そうかい」と言って何事も娵《よめ》に従って来た。いたずら盛りの孫が障子を破ろうと、お三輪はそれを叱ったこともない。自分で糊《のり》と紙を持って行って、何度でも子供の破った障子を繕ってやった。それほど孫にまで逆らうまいとして来た。母の思惑《おもわく》もさることながら、お三輪は自分で台所に出て皆のために働くことを何よりの楽みに思い、夜も遅くまで皆のために着物を縫い、時には娵や子守娘
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