ふとん》を片付けてしまわれるほど厳《きび》しい育て方をされたのも母だ。そういう母が同じ浦和生れの父を助けて小竹の店を持つ前に、しばらく日本橋|石町《こくちょう》の御隠居さんの家に勤めていた頃は、朝も暗いうちに起き、夜が明けてから髪なぞを結ったためしは殆《ほと》んどなかったという。そして御隠居さんの寝間の障子を細目にあけ、敷居のところに手をついて、毎朝の御機嫌《ごきげん》を伺ったものだという。年若い頃のお三輪に、三年の茶の道と、三味線や踊りの芸を仕込んでくれたのも母だ。財産も、店の品物も、着物も、道具も――一切のものを失った今となって見ると、年老いたお三輪が自分の心を支える唯一つの柱と頼むものは、あの生みの母より外になかった。
 生きている人にでも相談するように、お三輪はこの母の前に自分を持って行って見た。母は年を取れば取るほど、ますます疑い深くなって行ったような人であった。仮りに母がこの世に生きながらえていて、一回の震災の打撃に小竹の店の再興も覚束《おぼつか》ないと聞いたなら、あの疑い深い人はまた何を言い出したかも知れない。三代と続く商家も少いとよく言われるように、今度の震災を待つまで
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