度出て来たついでに、従妹《いとこ》のところへも寄って行きたいから」
「お母さん、そうしますか」
 料理場から食堂への通い口に設けてある帳場のところに立って、お三輪は新七とこんな言葉をかわした。帳場のテエブルの上には、前の晩に客へ出したらしい料理の献立なぞも載せてある。雅致のある支那風な桃色の用箋《ようせん》にそれが認《したた》めてある。そんな親切なやりかたがこの池の茶屋へ客の足を向けさせるらしい。お三輪はそこにも広瀬さんや新七の心の働いていることを思った。
「浦和へはあの従妹《いとこ》に送って貰いましょう。お前さんもいそがしそうだから、あたしはもうお暇する」


「お力」
 お三輪は料理場の外へお力を呼んで、帯の間から紙の包を取出した。
「これはすこしばかりだが、料理方の人達に分けておくれ。あのお給仕に出る娘さんにもあげておくれ」
 と言って、お三輪は自分の小遣《こづかい》のうちを手土産がわりに置いて行こうとした。彼女はいくらも小遣を持っていなかったが、そういう時になると多勢奉公人を使ったことのある、気の大きな小竹の隠居に返った。
「御隠居さん、そんなことをなすって下すっちゃ私が困りま
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