か容易じゃなかった」
 この新七や広瀬さんに案内されて、やがてお三輪も食堂の方へ行って見た。窓が二つあって、一方は公園の通路に添い、一方は深い木の葉に掩《おお》われている。その窓際《まどぎわ》には一段と高い床が造りつけてあって、そこに支那風の毛氈《もうせん》なぞも敷きつめてある。部屋の装飾はすべて広瀬さんの好みらしく、せいぜい五組か六組ほどの客しか迎えられない狭い食堂ではあるが、食卓の置き方からして気持好く出来ていた。
「どうです、この食堂は」と新七は母に言った。「外からの見つきは、あまり好くもありませんが、内部《なか》へ入って見ると違いましょう」
「まあ、俄普請《にわかぶしん》としては、こんなものです」と広瀬さんも食堂の内を歩き廻りながら、「お母さんも御承知の通り、今は寄席《よせ》も焼け、芝居も焼けでしょう。娯楽という娯楽の機関は何もない時です。食物より外に誰も楽みがない。そこでこんな食堂の仕事ならば、まあ成り立つというものです。われわれの方から言いましても、こうしてお互いに焼出されてしまって、何か食う道を考えなけりゃなりません。この仕事なら、皆のものが食って行かれる――」
「食って
前へ 次へ
全35ページ中14ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング