珍らしそうに眺《なが》めて行く西洋の婦人もあった。町の子供はいずれも嬉しそうに群集の間を飛んで歩いた。
やがて町の下の方から木の臼《うす》を転《ころ》がして来た。見物はいずれも両側の軒下なぞへ逃げ込んだ。
「ヨイヨ。ヨイヨ」
と掛声して、重い御輿が担《かつ》がれて来た。狭い往来の真中で、時々御輿は臼の上に置かれる。血気な連中はその周囲《まわり》に取付いて、ぐるぐる廻したり、手を揚げて叫んだりする。壮《さか》んな歓呼の中に、復た御輿は担がれて行った。一種の調律は見物の身《からだ》に流れ伝わった。私は戻りがけに子供まで同じ足拍子で歩いているのを見た。
この日は、町に紛擾《ごたごた》のあった後で、何となく人の心が穏かでなかった。六時頃に復た本町の角へ出て見た。「ヨイヨヨイヨ」という掛声までシャガレて「ギョイギョ、ギョイギョ」と物凄《ものすご》く聞える。人々は酒気を帯て、今御輿が町の上の方へ担がれて行ったかと思うと急に復た下って来る。五六十人の野次馬は狂するごとく叫び廻る。多勢の巡査や祭事掛は駈足《かけあし》で一緒に附いて歩いた。丁度夕飯時で、見物は彼方是方《あちこち》へ散じたが、御輿の勢は反《かえ》って烈《はげ》しく成った。それが大きな商家の前などを担がれて通る時は、見る人の手に汗を握らせた。
急に御輿は一種の運動と化した。ある家の前で、衝突の先棒《さきぼう》を振るものがある、両手を揚げて制するものがある、多勢の勢に駆られて見る間に御輿は傾いて行った。その時、家の方から飛んで出て、御輿に飛付き押し廻そうとするものもあった。騒ぎに踏み敷かれて、あるものの顔から血が流れた。「御輿を下せ御輿を下せ」と巡査が馳《は》せ集って、烈しい論判の末、到頭|輿丁《よてい》の外《ほか》は許さないということに成った。御輿の周囲《まわり》は白帽白服の人で護られて、「さあ、よし、持ち上げろ」などという声と共に、急に復た仲町の方角を指して担がれて行った。見物の中には突き飛ばされて、あおのけさまに倒れた大の男もあった。
「それ早く逃げろ、子供々々」
皆な口々に罵《ののし》った
「巡査も随分御苦労なことですな」
「ほんとに好い迷惑サ」
見物は言い合っていた。
暮れてから町々の提灯《ちょうちん》は美しく点《とも》った。簾《すだれ》を捲上《まきあ》げ、店先に毛氈《もうせん》なぞを敷き、屏風《びょうぶ》を立て廻して、人々は端近く座りながら涼んでいた。
御輿は市町から新町の方へ移った。ある坂道のところで、雨のように降った賽銭《さいせん》を手探りに拾う女の児なぞが有った。後には、提灯を手にして往来を探《さが》すような青砥《あおと》の子孫も顕《あらわ》れるし、五十ばかりの女が闇から出て、石をさぐったり、土を掴《つか》んだりして見るのも有った。さかしい慾の世ということを思わせた。
市町の橋は、学校の植物の教師の家に近い。私の懇意なT君という医者の家にも近い。その欄干《らんかん》の両側には黒い影が並んで、涼しい風を楽んでいるものや、人の顔を覗《のぞ》くものや、胴魔声《どうまごえ》に歌うものや、手を引かれて断り言う女連なぞが有った。
夜の九時過に、馬場裏の提灯はまだ宵の口のように光った。組合の人達は仕立屋や質屋の前あたりに集って涼みがてら祭の噂《うわさ》をした。この夜は星の姿を見ることが出来なかった。螢《ほたる》は暗い流の方から迷って来て、町中《まちなか》を飛んで、青い美しい光を放った。
後の祭
翌日は朝から涼しい雨が降った。家の周囲《まわり》にある柿、李《すもも》なぞの緑葉からは雫《しずく》が滴《したた》った。李の葉の濡《ぬ》れたのは殊《こと》に涼しい。
本町の通では前の日の混雑した光景《さま》と打って変って家毎に祭の提灯を深く吊《つる》してある。紺|暖簾《のれん》の下にさげた簾《すだれ》も静かだ。その奥で煙草盆の灰吹を叩《たた》く音が響いて聞える位だ。往来には、娘子供が傘をさして遊び歩くのみだ。前の日に用いた木の臼《うす》も町の片隅《かたすみ》に転してある。それが七月の雨に濡れている。
この十四日には家々で強飯《こわめし》を蒸《ふか》し、煮染《にしめ》なぞを祝って遊び暮す日であるという。午後の四時頃に成っても、まだ空は晴れなかった。烏帽子《えぼし》を冠り、古風な太刀《たち》を帯びて、芝居の「暫《しばらく》」にでも出て来そうな男が、神官、祭事掛、子供などと一緒に、いずれも浅黄の直垂《ひたたれ》を着けて、小雨の降る町中の〆飾を切りに歩いた。
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その四
中棚《なかだな》
私達の教員室の窓から浅い谷が見える。そこは耕されて、桑《くわ》などが植付けてある。
こういう谷が松林の多い崖《がけ》を挟《はさ》んで、古城の附近に幾つとなく有る。それが千曲川《ちくまがわ》の方へ落ちるに随って余程深いものと成っている。私達は城門の横手にある草地を掘返して、テニスのグランドを造っているが、その辺も矢張《やはり》谷の起点の一つだ。M君が小諸に居た頃は、この谷間《たにあい》で水彩画を作ったこともあった。学校の体操教師の話によると、ずっと昔、恐るべき山崩れのあった時、浅間の方から押寄せて来た水がこういう変化のある地勢を造ったとか。
八月のはじめ、私はこの谷の一つを横ぎって、中棚の方へ出掛けた。私の足はよく其方《そちら》へ向いた。そこには鉱泉があるばかりでなく、家から歩いて行くには丁度頃合の距離にあったから。
中棚の附近には豊かな耕地も多い。ある崖の上まで行くと、傾斜の中腹に小ぢんまりとした校長の別荘がある。その下に温泉場の旗が見える。林檎畠《りんごばたけ》が見える。千曲川はその向を流れている。
午後の一時過に、私は田圃脇《たんぼわき》の道を通って、千曲川の岸へ出た。蘆《あし》、蓬《よもぎ》、それから短い楊《やなぎ》などの多い石の間で、長野から来ている師範校の学生と一緒に成《なっ》た。A、A、Wなどいう連中だ。この人達は夏休を応用して、本を読みに私の家へ通っている。岸には、熱い砂を踏んで水泳にやって来た少年も多かった。その中には私達の学校の生徒も混っていた。
暑くなってから、私はよく自分の生徒を連れて、ここへ泳ぎに来るが、隅田川《すみだがわ》なぞで泳いだことを思うと水瀬からして違う。青く澄んだ川の水は油のように流れていても、その瀬の激しいことと言ったら、眩暈《めまい》がする位だ。川上の方を見ると、暗い岩蔭から白波を揚げて流れて来る。川下の方は又、矢のように早い。それが五里淵《ごりぶち》の赤い崖に突き当って、非常な勢で落ちて行く。どうして、この水瀬が是処《こっち》の岩から向うの崖下まで真直《まっすぐ》に突切れるものではない。それに澄んだ水の中には、大きな岩の隠れたのがある。下手をマゴつけば押流されて了《しま》う。だから余程|上《かみ》の方からでも泳いで行かなければ、目的とする岩に取付いて上ることが出来ない。
平野を流れる利根《とね》などと違い、この川の中心は岸のどちらかに激しく傾いている。私達は、この河底の露《あらわ》れた方に居て、溝萩《みぞはぎ》の花などの咲いた岩の蔭で、二時間ばかりを過した。熱い砂の上には這《は》いのめって、甲羅《こうら》を乾しているものもあった。ザンブと水の中へ飛込むものもあった。このあたりへは小娘まで遊びに来て、腕まくりをしたり、尻を端折《はしょ》ったりして、足を水に浸しながら余念なく遊び廻っていた。
三つの麦藁《むぎわら》帽子が石の間にあらわれた。師範校の連中だ。
「ちったア釣れましたかネ」と私が聞いた。
「ええ、すっかり釣られて了いました」
「どうだネ、君の方は」
「五|尾《ひき》ばかし掛るには掛りましたが、皆な欺《だま》されて了いました」
「む、む、二時間もあるのだから、ゆっくり言訳は考えられるサ……」
こんなことを言って、仲間の話を混返《まぜかえ》すものもあった。
この連中と一緒に、私は中棚の温泉の方へ戻って行った。沸し湯ではあるが、鉱泉に身を浸して、浴槽《よくそう》の中から外部《そと》の景色を眺《なが》めるのも心地《こころもち》が好かった。湯から上っても、皆の楽みは茶でも飲みながら、書生らしい雑談に耽《ふけ》ることであった。林檎畠、葡萄棚《ぶどうだな》なぞを渡って来る涼しい風は、私達の興を助けた。
「年をとれば、甘い物なんか食いたくなくなりましょうか」
と一人が言出したのが始まりで、食慾の話がそれからそれと引出された。
「十八史略を売って菓子屋の払いをしたことも有るからナア」
「菓子もいいが、随分かかるネ」
「僕は二年ばかり辛抱した……」
「それはエラい。二年の辛抱は出来ない。僕なぞは一週間に三度と定《き》めている」
「ところが、君、三年目となると、どうしても辛抱が出来なくなったサ」
「此頃《こないだ》、ある先生が――諸君は菓子屋へよく行そうだ、私はこれまでそういう処へ一切足を入れなかったが、一つ諸君連れてってくれ給え、こう言うじゃないか」
「フウン」
「一体諸君はよく菓子を好かれるが、一回に凡《およ》そどの位食べるんですか、と先生が言うから、そうです、まあ十銭から二十銭位食いますって言うと、それはエラい、そんなに食ってよく胃を害《こわ》さないものだと言われる。ええ、学校へ帰って来て、夕飯を食わずにいるものも有ります、とやったさ」
「そうだがねえ、いろいろなのが有るぜ、菓子に胃散をつけて食う男があるよ」
三人は何を言っても気が晴れるという風だ。中には、手を叩《たた》いて、踊り上って笑うものもあった。それを聞くと、私も噴飯《ふきだ》さずにはいられなかった。
やがて、三人は口笛を吹き吹き一緒に泊っている旅舎《やどや》の方へ別れて行った。
この温泉から石垣について坂道を上ると、そこに校長の別荘の門がある。楼の名を水明楼としてある。この建物はもと先生の書斎で、士族屋敷の方にあったのを、ここへ移して住まわれるようにしたものだ。閑雅な小楼で、崖に倚《よ》って眺望の好い位置に在る。
先生は共立学校時代の私の英語の先生だ。あの頃は先生も男のさかりで、アアヴィングの「リップ・ヴァン・ウィンクル」などを教えてくれたものだった。その先生が今ではこういうとこに隠れて、花を植えて楽んだり鉱泉に老を養ったりするような、白髯《はくぜん》の翁《おきな》だ。どうかすると先生の口から先生自身がリップ・ヴァン・ウィンクルであるかのような戯談《じょうだん》を聞くこともある。でも先生の雄心は年と共に銷磨《しょうま》し尽すようなものでもない。客が訪ねて行くと、談論風発する。
水明楼へ来る度《たび》に、私は先生の好く整理した書斎を見るのを楽みにする。そればかりではない、千曲川の眺望はその楼上の欄《てすり》に倚りながら恣《ほしいまま》に賞することが出来る。対岸に煙の見えるのは大久保村だ。その下に見える釣橋《つりばし》が戻り橋だ。川向から聞える朝々の鶏の鳴声、毎晩農村に点《つ》く灯《あかり》の色、種々《いろいろ》思いやられる。
楢《なら》の樹蔭《こかげ》
楢の樹蔭。
そこは鹿島神社の境内だ。学校が休みに成ってからも、私はよくその樹蔭を通る。
ある日、鉄道の踏切を越えて、また緑草の間の小径《こみち》へ出た。楢の古木には、角の短い、目の愛らしい小牛が繋《つな》いであった。しばらく私が立って眺めていると、小牛は繋がれたままでぐるぐると廻るうちに、地を引くほどの長い綱を彼方此方《あっちこっち》の楢の幹へすっかり巻き付けて終《しま》った。そして、身動きすることも出来ないように成った。
向の草の中には、赤い馬と白い馬とが繋いであった。
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その五
山の温泉
夕立ともつかず、時雨《しぐれ》ともつかないような、夏から秋に移り変る時の短い雨が来た。草木にそそぐ音は夕立ほど激しくない。最早|初茸《はつだけ》を箱に入れて、木の葉のついた樺色《かばいろ》なやつや、緑青
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