ったり、ひょろひょろと歩き廻ったりした。
 亭主は私達を馬小屋の前に連れて行った。赤い馬が首を出して、鼻をブルブル言わせた。冬季のことだから毛も長く延び、背は高く、目は優しく、肥大な骨格の馬だ。亭主は例のフスマに芋、葱のうでたのを混ぜ、ツタを加えて掻廻し、それを大桶《おおおけ》に入れて、馬小屋の鍵《かぎ》に掛けて遣《や》った。馬はあまえて、朝飯欲しそうな顔付をした。
「廻って来い」
 と亭主が言うと、馬は主人の言葉を聞分けて、ぐるりと一度小屋の内を廻った。
「もう一度――」
 と復《ま》た亭主が馬の鼻面《はなづら》を押しやった。それからこの可憐《かれん》な動物は桶の中へ首を差込むことを許された。馬がゴトゴトさせて食う傍《そば》で、亭主は一斗五升の白水が一吸に尽されることを話して、私達を驚かした。
 山上の雲は漸《ようや》く白く成って行った。谷底も明けて行った。光の触れるところは灰色に望まれた。
 細君が膳の仕度の出来たことを知らせに来た。めずらしいところで、私達は朝の食事をした。亭主は食べ了《おわ》った茶碗に湯を注ぎ、それを汁椀《しるわん》にあけて飲み尽し、やがて箱膳《はこぜん》の中から布巾《ふきん》を取出して、茶碗も箸《はし》も自分で拭《ふ》いて納めた。
 もう一度、私達は亭主と一緒に小屋を出て、朝日に光る山々を見上げ、見下した。亭主は望遠鏡まで取出して来て、あそこに見えるのが渋の沢、その手前の窪《くぼ》みが霊泉寺の沢、と一々指して見せた。八つが岳、蓼科《たでしな》の裾、御牧《みまき》が原、すべて一望の中にあった。
 層を成して深い谷底の方へ落ちた断崖の間には、桔梗《ききょう》、山辺《やまべ》、横取《よこどり》、多計志《たけし》、八重原《やえばら》などの村々を数えることが出来る。白壁も遠く見える。千曲川も白く光って見える。
 十二月に入ると山の雉《きじ》は畠へ下りて来る、どうかすると人の足許《あしもと》より飛び立つことがある。兎も雪の中の麦を喰《く》いに寄る。こうした話が私達にはめずらしい。
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   その九


     雪国のクリスマス

 クリスマスの夜とその翌日を、私は長野の方で送った。長野測候所に技手を勤むる人から私は招きの手紙を受けて、未知の人々に逢うために、小諸を発《た》ち、汽車の窓から田中、上田、坂木などの駅々を通り過ぎて、長野まで行った。そこにある測候所を見たいと思ったのがこの小さな旅の目的の一つであった。私はそれも果した。
 雪国のクリスマス――雪国の測候所――と言っただけでも、すでに何物《なに》か君の想像を動かすものがあるであろう。しかし私はその話を君にする前に、いかにこの国が野も山も雪のために埋もれて行ったかを話したいと思う。
 毎年十一月の二十日前後には初雪を見る。ある朝私は小諸の住居《すまい》で眼が覚めると、思いがけない大雪が来ていた。塩のように細かい雪の降り積《つもる》のが、こういう土地の特色だ。あまりに周囲《あたり》の光景が白々としていた為か、私の眼にはいくらか青みを帯びて見える位だった。朝通いの人達が、下駄の歯につく雪になやみながら往来を辿《たど》るさまは、あたかも暗夜を行く人に異ならない。赤い毛布《ケット》で頭を包んだ草鞋穿《わらじばき》の小学生徒の群、町家の軒下にションボリと佇立《たたず》む鶏、それから停車場のほとりに貨物を満載した車の上にまで雪の積ったさまなぞを見ると、降った、降った、とそう思う。私は懐古園《かいこえん》の松に掛った雪が、時々|崩《くず》れ落ちる度《たび》に、濛々《もうもう》とした白い烟《けむり》を揚げるのを見た。谷底にある竹の林が皆な草のように臥《ね》て了ったのをも見た。
 岩村田通いの馬車がこの雪の中を出る。馬丁の吹き鳴らす喇叭《らっぱ》の音が起る。薄い蓙《ござ》を掛けた馬の身《からだ》はビッショリと濡《ぬれ》て、粗《あら》く乱れた鬣《たてがみ》からは雫《しずく》が滴《したた》る。ザクザクと音のする雪の路を、馬車の輪が滑《すべ》り始める。白く降り埋《うず》んだ道路の中には、人の往来《ゆきき》の跡だけ一筋赤く土の色になって、うねうねと印したさまが眺《ながめ》られる。家ごとに出て雪をかく人達の混雑したさまも、こういう土地でなければ見られない光景《ありさま》だ。
 薄い靄か霧かが来て雪のあとの町々を立ち罩《こ》めた。その日の黄昏時《たそがれどき》のことだ。晴れたナと思いながら門口に出て見ると、ぱらぱらと冷いのが襟《えり》にかかる。ヤア降ってるのかと、思わず髪に触《さわ》ると、霧のように見えたのは矢張細かい雪だということが知れる。二度ばかり掻取《かきと》った路も、また薄白くなって、夜に入れば、時々家の外で下駄の雪の落す音が、ハタハタと聞える。自分の家へ客でも訪れるのかと思うと、それが往来の人々であるには驚かされる。
 雪明りで、暗いなかにも道は辿ることが出来る。町を通う人々の提灯《ちょうちん》の光が、夜の雪に映って、花やかに明るく見えるなぞもPicturesqueだ。
 君、私はこの国に於ける雪の第一日のあらましを君に語った。この雪が残らず溶けては了わないことを、君に思ってみて貰《もら》いたい。殊に寒い日蔭、庭だとか、北側の屋根だとかには、何時までも消え残って、降り積った上へと復た積るので、その雪の凍ったのが春までも持越すことを思ってみて貰いたい。
 しかし、これだけで未だ、私がこういう雪国に居るという感じを君に伝えるには、不充分だ。その雪の来た翌日になって見ると、屋根に残ったは一尺ほどで、軒先には細い氷柱《つらら》も垂下り、庭の林檎《りんご》も倒れ臥《ふ》していた。鶏の声まで遠く聞えて、何となくすべてが引被《ひきかぶ》せられたように成った。雪の翌日には、きまりで北の障子が明るくなる。灰色の空を通して日が照し始めると雪は光を含んでギラギラ輝く。見るもまぶしい。軒から垂れる雫の音は、日がな一日単調な、退屈な、侘《わび》しく静かな思をさせる。
 更に小諸町裏の田圃側《たんぼわき》へ出て見ると、浅々と萌《も》え出た麦などは皆な白く埋もれて、岡つづきの起き伏すさまは、さながら雪の波の押し寄せて来るようである。さすがに田と田を区別する低い石垣には、大小の石の面も顕われ、黄ばんだ草の葉の垂れたのが見られぬでもない。遠い森、枯々な梢、一帯の人家、すべて柔かに深い鉛色を帯びて見える。この鉛色――もしくはすこし紫色を帯びたのが、これからの色彩の基調かとも言いたい。朦朧《もうろう》として、いかにもおぼつかないような名状し難い世界の方へ、人の心を連れて行くような色調だ。
 翌々日に私はまた鶴沢という方の谷間《たにあい》へ出たことがあった。日光が恐しく烈しい勢で私に迫って来た。四面皆な雪の反射は殆《ほと》んど堪えられなかった。私は眼を開いてハッキリ物を見ることも出来なかった。まぶしいところは通り過《こ》して、私はほとほと痛いような日光の反射と熱とを感じた。そこはだらだらと次第下りに谷の方へ落ちている地勢で、高低の差別なく田畠もしくは桑畠に成っている。一段々々と刻んでは落ちている地層の側面は、焦茶色の枯草に掩《おお》われ、ところどころ赤黝《あかぐろ》い土のあらわれた場所もある。その赤土の大波の上は枯々な桑畠で、ウネなりに白い雪が積って、日光の輝きを受けていた。その大波を越えて、蓼科の山脈が望まれ、遙《はる》かに日本アルプスの遠い山々も見えた。その日は私は千曲川の凄《すさ》まじい音を立てて流れるのをも聞いた。
 こんな風にして、溶けたと思う雪が復た積り、顕れた道路の土は復た隠れ、十二月に入って曇った空が続いて、日の光も次第に遠く薄く射すように成れば、周囲《あたり》は半ば凍りつめた世界である。高い山々は雪嵐に包まれて、全体の姿を顕す日も稀《まれ》だ。小諸の停車場に架けた筧《かけひ》からは水が溢《あふ》れて、それが太い氷の柱のように成る。小諸は降らない日でも、越後の方から上って来る汽車の屋根の白いのを見ると、ア彼方《むこう》は降ってるナと思うこともある。冬至近くに成れば、雲ともつかぬ水蒸気の群が細線の集合の如く寒い空に懸り、その蕭条《しょうじょう》とした趣は日没などに殊に私の心を引く。その頃には、軒の氷柱《つらら》も次第に長くなって、尺余に及ぶのもある。草葺《くさぶき》の屋根を伝う濁った雫が凍るのだから、茶色の長い剣を見るようだ。積りに積る庭の雪は、やがて縁側より高い。その間から顔を出す石南木《しゃくなぎ》なぞを見ると、葉は寒そうにべたりと垂れ、強い蕾《つぼみ》だけは大きく堅く附着《くっつ》いている。冬籠りする土の中の虫同様に、寒気の強い晩なぞは、私達の身体も縮こまって了う……
 こういう寒さと、凍った空気とを衝《つ》いて、私は未知の人々に逢う楽みを想像しながら、クリスマスのあるという日の暮方に長野へ入った。例の測候所の技手の家を訪ねると、主人はまだ若い人で、炬燵《こたつ》にあたりながらの気象学の話や、文学上の精《くわ》しい引証談なぞが、私の心を楽ませた。ラスキンが「近代画家」の中にある雲の研究の話なども出た。ラスキンが雲を三層に分けた頃から思うと、九層の分類にまで及んだ近時の雲形の研究は進んだものだ。こう主人が話しているところへ、ある婦人の客も訪ねて来た。
 私が主人から紹介されたその若い婦人は、牧師の夫人で、主人が親しい友達であるという。快活な声で笑う人だった。その晩歌うクリスマスの唱歌で、その主人の手に成ったものも有るとのことだった。やがて降誕祭《クリスマス》を祝う時刻も近づいたので、私達は連立って技手の家を出た。
 私が案内されて行った会堂風の建物は、丁度坂に成った町の中途にあった。そこへ行くまでに私は雪の残った暗い町々を通った。時々私は技手と一緒に、凍った往来に足を留めて、後部《うしろ》の方に起る女連《おんなれん》の笑声を聞くこともあった。その高い楽しい笑声が、寒い冬の空気に響いた時は、一層雪国の祭の夜らしい思をさせた。後に成って私は、若い牧師夫人が二度ほど滑《すべ》って転《ころ》んだことを知った。
 赤々とした燈火は会堂の窓を泄《も》れていた。そこに集っていた多勢の子供と共に、私は田舎《いなか》らしいクリスマスの晩を送った。

     長野測候所

 翌朝、私は親切な技手に伴われて、長野測候所のある岡の上に登った。
 途次《みちみち》技手は私を顧みて、ある小説の中に、榛名《はるな》の朝の飛雲の赤色なるを記したところが有ったと記憶するが、飛雲は低い処を行くのだから、赤くなるということは奈何《いかが》などと話した。さすが専門家だけあって話すことがすべて精《くわ》しかった。
 測候所は建物としては小さいが、眺望《ちょうぼう》の好い位置にある。そこは東京の気象台へ宛てて日毎の報告を造る場所に過ぎないと言うけれども、万般の設備は始めての私にはめずらしく思われた。雲形や気温の表を製作しつつ日を送る人々の生活なぞも、私の心を引いた。
 やがて私は技手の後に随いて、狭い楼階《はしごだん》を昇り、観測台の上へ出た。朝の長野の町の一部がそこから見渡される。向うに連なる山の裾には、冬らしい靄《もや》が立ち罩《こ》めて、その間の空虚なところだけ後景が明かに透けて見えた。
 風力を測る器械の側で、技手は私に、暴風雨《あらし》の前の雲――例《たと》えば広濶《こうかつ》な海岸の地方で望まれるようなは、その全形をこの信濃《しなの》の地方で望み難いことを話してくれた。その理由としては、山が高くて、気圧の衝突から雲はちぎれちぎれに成るという説明をも加えてくれた。
「雲の多いのは冬ですが、しかし単調ですね。変化の多いと言ったら、矢張夏でしょう。夏は――雲の量に於いては――冬の次でしょうかナ。雲の妙味から言えば、私は春から夏へかけてだろうと思いますが……」
 こう技手は言って、それから私達の頭の上に群り集る幾層かの雲を眺めていたが、思い付いたように、
「あの雲は何と御覧ですか」
 と私に指して尋ねた
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