の雇われた男の方ははかばかしく仕事もしないという風で、すこし働いたかと思うと、直《すぐ》に鍬を杖にして、是方《こっち》を眺めてはボンヤリと立っていた。
 岡辺は光の海であった。黒ずんだ土、不規則な石垣、枯々な桑の枝、畦の草、田の面に乾した新しい藁、それから遠くの方に見える森の梢《こずえ》まで、小春の光の充《み》ち溢《あふ》れていないところは無かった。
 私の眼界にはよく働く男が二人までも入って来た。一人は近くにある田の中で、大きな鍬に力を入れて、土を起し始めた。今一人はいかにも背の高い、痩《や》せた、年若な農夫だ。高い石垣の上の方で、枯草の茶色に見えるところに半身を顕《あらわ》して、モミを打ち始めた。遠くて、その男の姿が隠れる時でも、上ったり下ったりする槌《つち》だけは見えた。そして、その槌の音が遠い砧《きぬた》の音のように聞えた。
 午後の三時過まで、その日私は赤坂裏の田圃道を歩き廻った。
 そのうちに、畠側《はたけわき》の柿や雑木に雀の群のかしましいほど鳴き騒いでいるところへ出た。刈取られた田の面には、最早青い麦の芽が二寸ほども延びていた。
 急に私の背後《うしろ》から下駄の音がし
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