て来たかと思うと、ぱったり立止って、向うの石垣の上の方に向いて呼び掛ける子供の声がした。見ると、茶色に成った桑畠を隔てて、親子二人が収穫《とりいれ》を急いでいた。子供はお茶の入ったことを知らせに来たのだ。信州人ほど茶好な人達も少なかろうと思うが、その子供が復た馳出《かけだ》して行った後でも、親子は時を惜むという風で、母の方は稲穂をこき落すに余念なく、子息《むすこ》はその籾を叩《たた》く方に廻ってすこしも手を休めなかった。遠く離れてはいたが、手拭を冠った母の身《からだ》を延べつ縮めつするさまも、子息のシャツ一枚に成って後ろ向に働いているさまも、よく見えた。
子供にあんなことを言われると、私も咽喉《のど》が乾いて来た。
家へ帰って濃い熱い茶に有付きたいと思いながら、元来た道を引返そうとした。斜めに射して来た日光は黄を帯びて、何となく遠近《おちこち》の眺望《ながめ》が改まった。岡の向うの方には数十羽の雀が飛び集ったかと思うと、やがてまたパッと散り隠れた。
農夫の生活
君はどれ程私が農夫の生活に興味を持つかということに気付いたであろう。私の話の中には、幾度《いくたび》か農家
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