を眺《なが》めながら、私達は板橋村という方へ進んで行った。この高原の広さは五里四方もある、荒涼とした原の中には、蕎麦《そば》なぞを蒔《ま》いたところもあって、それを耕す人達がところどころに僅《わず》かな村落を形造っている。板橋村はその一番|取付《とっつき》にある村だ。
 以前、私はこの辺のことを、こんな風に話の中に書いた。
「晴れて行く高原の霧の眺めは、どんなに美しいものでしょう。すこし裾《すそ》の見えた八つが岳が次第に険《けわ》しい山骨を顕《あら》わして来て、終《しまい》に紅色の光を帯びた巓《いただき》まで見られる頃は、影が山から山へ映《さ》しておりました。甲州に跨《またが》る山脈の色は幾度《いくたび》変ったか知れません。今、紫がかった黄。今、灰がかった黄。急に日があたって、夫婦の行く道を照し始める。見上げれば、ちぎれちぎれの綿のような雲も浮んで、いつの間にか青空に成りました。ああ朝です。
 男山《おとこやま》、金峯山《きんぶざん》、女山《おんなやま》、甲武信岳《こぶしがたけ》、などの山々も残りなく顕れました。遠くその間を流れるのが千曲川の源、かすかに見えるのが川上の村落です。千曲川
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