て、耕作の道具食器の類はすべてその辺《あたり》に置き並べてある。何一つ飾りの無い、煤《すす》けた壁に、石版画の彩色したのや、木版刷の模様のついた暦なぞが貼付けてあるのを見ると、そんな粗末な版画でも何程かこの山の中に住む人達の眼を悦《よろこ》ばすであろうと思われた。暮の売出しの時に、近在から町へ買物に来る連中がよくこの版画を欲しがるのも、無理は無いと思う。
 私達は草鞋掛《わらじがけ》のまま炉辺で足を休めた。細君が辣韮《らっきょう》の塩漬《しおづけ》にしたのと、茶を出して勧めてくれた。渇《かわ》いた私達の口には小屋で飲んだ茶がウマかった。冬はこの炉に焚火《たきび》を絶《たや》したことが無いと、主人が言った。ここまで上ると、余程気候も違う。
 一緒に行った学生は、小屋の裏の方まで見に廻って、柿は植えても渋が上らないことや、梅もあるが味が苦いことや、桃だけはこの辺の地味にも適することなど種々な話を主人から聞いて来た。
 やがて昼飯時だ。
 庭の栗の樹の蔭で、私達は小屋で分けて貰《もら》った蕈《きのこ》を焼いた。主人は薄縁を三枚ばかり持って来て、樹の下へ敷いてくれた。そこで昼飯が始まった。細君
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