の校長の細君が十四五人ばかりの女生徒を連れて来ているのに逢った。この娘達も私が余暇に教えに行く方の生徒だ。
 楼上から遠く浅間一帯の山々を望んだ。浅間の見えない日は心細い、などと校長の細君は話していた。
 十九夜の月の光がこの谷間《たにあい》に射し入った。人々が多く寝静まった頃、まだ障子を明るくして、盛んに議論している浴客の声も聞えた。
「身体は小さいけれど、そんな野蛮人じゃねえ」
 理屈《りくつ》ッぽい人達の言いそうな言葉だ。
 翌日は朝霧の籠《こも》った谿谷《けいこく》に朝の光が満ちて、近い山も遠く、家々から立登る煙は霧よりも白く見えた。浅間は隠れた。山のかなたは青がかった灰色に光った。白い雲が山脈に添うて起るのも望まれた。国さんという可憐《かれん》の少年も姉娘に附いて来ていて、温泉宿の二階で玩具《おもちゃ》の銀笛《ぎんてき》を吹いた。
 そこは保福寺《ほうふくじ》峠と地蔵峠とに挟まれた谷間だ。二十日の月はその晩も遅くなって上った。水の流が枕に響いて眠られないので、一旦寝た私は起きて、こういう場所の月夜の感じを味《あじわ》った。高い欄《てすり》に倚凭《よりかか》って聞くと、さまざま
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