《ほしいまま》に賞することが出来る。対岸に煙の見えるのは大久保村だ。その下に見える釣橋《つりばし》が戻り橋だ。川向から聞える朝々の鶏の鳴声、毎晩農村に点《つ》く灯《あかり》の色、種々《いろいろ》思いやられる。
楢《なら》の樹蔭《こかげ》
楢の樹蔭。
そこは鹿島神社の境内だ。学校が休みに成ってからも、私はよくその樹蔭を通る。
ある日、鉄道の踏切を越えて、また緑草の間の小径《こみち》へ出た。楢の古木には、角の短い、目の愛らしい小牛が繋《つな》いであった。しばらく私が立って眺めていると、小牛は繋がれたままでぐるぐると廻るうちに、地を引くほどの長い綱を彼方此方《あっちこっち》の楢の幹へすっかり巻き付けて終《しま》った。そして、身動きすることも出来ないように成った。
向の草の中には、赤い馬と白い馬とが繋いであった。
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その五
山の温泉
夕立ともつかず、時雨《しぐれ》ともつかないような、夏から秋に移り変る時の短い雨が来た。草木にそそぐ音は夕立ほど激しくない。最早|初茸《はつだけ》を箱に入れて、木の葉のついた樺色《かばいろ》なやつや、緑青
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