古城の附近に幾つとなく有る。それが千曲川《ちくまがわ》の方へ落ちるに随って余程深いものと成っている。私達は城門の横手にある草地を掘返して、テニスのグランドを造っているが、その辺も矢張《やはり》谷の起点の一つだ。M君が小諸に居た頃は、この谷間《たにあい》で水彩画を作ったこともあった。学校の体操教師の話によると、ずっと昔、恐るべき山崩れのあった時、浅間の方から押寄せて来た水がこういう変化のある地勢を造ったとか。
 八月のはじめ、私はこの谷の一つを横ぎって、中棚の方へ出掛けた。私の足はよく其方《そちら》へ向いた。そこには鉱泉があるばかりでなく、家から歩いて行くには丁度頃合の距離にあったから。
 中棚の附近には豊かな耕地も多い。ある崖の上まで行くと、傾斜の中腹に小ぢんまりとした校長の別荘がある。その下に温泉場の旗が見える。林檎畠《りんごばたけ》が見える。千曲川はその向を流れている。
 午後の一時過に、私は田圃脇《たんぼわき》の道を通って、千曲川の岸へ出た。蘆《あし》、蓬《よもぎ》、それから短い楊《やなぎ》などの多い石の間で、長野から来ている師範校の学生と一緒に成《なっ》た。A、A、Wなどいう連
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