、離散した多くの家族の可傷《いたま》しい歴史を聞き、振返って本町、荒町の方に町人の繁昌《はんじょう》を望むなら、「時」の歩いた恐るべき足跡を思わずにいられなかろう。しかし他の土地へ行って、頭角を顕《あらわ》すような新しい人物は、大抵教育のある士族の子孫だともいう。
今、弓を提げて破壊された城址《しろあと》の坂道を上って行く学士も、ある藩の士族だ。校長は、江戸の御家人とかだ。休職の憲兵大尉で、学校の幹事と、漢学の教師とを兼ねている先生は、小諸藩の人だ。学士なぞは十九歳で戦争に出たこともあるとか。
私はこの古城址《こじょうし》に遊んで、君なぞの思いもよらないような風景を望んだ。それは茂った青葉のかげから、遠く白い山々を望む美しさだ。日本アルプスの谿々《たにだに》の雪は、ここから白壁を望むように見える。
懐古園内の藤、木蘭《もくれん》、躑躅《つつじ》、牡丹《ぼたん》なぞは一時花と花とが映り合って盛んな香気を発したが、今では最早濃い新緑の香に変って了った。千曲川は天主台の上まで登らなければ見られない。谷の深さは、それだけでも想像されよう。海のような浅間一帯の大傾斜は、その黒ずんだ松の樹の
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