》って出掛けた。学士の口からは、時々軽い仏蘭西《フランス》語なぞが流れて来る。それを聞く度《たび》に、私は学士の華やかな過去を思いやった。学士は又、そんな関わない風采《ふうさい》の中にも、何処《どこ》か往時《むかし》の瀟洒《しょうしゃ》なところを失わないような人である。その胸にはネキタイが面白く結ばれて、どうかすると見慣れない襟留《えりどめ》なぞが光ることがある。それを見ると、私は子供のように噴飯《ふきだ》したくなる。
白い黄ばんだ柿の花は最早到る処に落ちて、香気を放っていた。学士は弓の袋や、クスネの類を入れた鞄《かばん》を提げて歩きながら、
「ねえ、実はこういう話サ。私共の二番目の伜《せがれ》が、あれで子供仲間じゃナカナカ相撲《すもう》が取れるんですトサ。此頃《こないだ》もネ、弓の弦《つる》を褒美《ほうび》に貰って来ましたがネ、相撲の方の名が可笑《おか》しいんですよ。何だッて聞きましたらネ――沖の鮫《さめ》」
私は笑わずにいられなかった。学士も笑を制えかねるという風で、
「兄のやつも名前が有るんですよ。貴様は何とつけたと聞きましたら、父さんが弓が御好きだから、よく当るように矢当り
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