ように、私達の方を振返って、白い短い髭《ひげ》を見せた。
 肥桶《こやしおけ》を担《かつ》いだ男も畠の向を通った。K君はその男の方をも私に指して見せて、あの桶の底には必《きっ》と葱《ねぎ》などの盗んだのが入っている、と笑いながら言った。それから、私は髪の赤白髪《あかしらが》な、眼の色も灰色を帯びた、酒好らしい赤ら顔の農夫にも逢った。

     古城の初夏

 私の同僚に理学士が居る。物理、化学なぞを受持っている。
 学校の日課が終った頃、私はこの年老いた学士の教室の側を通った。戸口に立って眺めると、学士も授業を済ましたところであったが、まだ机の前に立って何か生徒等に説明していた。机の上には、大理石の屑《くず》、塩酸の壜《びん》、コップ、玻璃管《ガラスくだ》などが置いてあった。蝋燭《ろうそく》の火も燃えていた。学士は、手にしたコップをすこし傾《かし》げて見せた。炭素はその玻璃板の蓋《ふた》の間から流れた。蝋燭の火は水を注ぎかけられたように消えた。
 無邪気な学生等は学士の机の周囲《まわり》に集って、口を開いたり、眼を円《まる》くしたりして眺めていた。微笑《ほほえ》むもの、腕組するもの、
前へ 次へ
全189ページ中22ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング