蹟《ぶっせき》探検の事実を聞いたことがあるか。その運動に参加した僧侶の一人は、この老僧の子息《むすこ》さんで、娘の婿にあたる学士も矢張一行の中に加わった人だ。学士は当時英国留学中であったが、病弱な体躯《たいく》を提《ひっさ》げて一行に加わり、印度内地及び錫蘭《セイロン》に於ける阿育王《あいくおう》の遺跡なぞを探り、更に英国の方へ引返して行く途中で客死した。この学士の記念の絵葉書が、沢山飯山の寺に遺《のこ》っていたが、熱帯地方の旅の苦みを書きつけてあったのなぞは殊《こと》に、私の心を引いた。老僧の子息さんは兵役に服しているとかで、その人には私は逢ってみなかった。旧《ふる》い朽ちかかったような寺院の空気の中から、とにかくこういう新人物が生れている。そしてそういう人達の背後には、親であり又た舅《しゅうと》姑《しゅうとめ》である老僧夫婦のような人達があって、幾十年となく宗教的な生活を送って来たことが想像される。
しかし飯山地方に古めかしい宗教的の臭気《におい》が残っていて、二十何ヵ所の寺院が仮令《たとえ》維持の方法に苦みながらも旧態を保存しているということは、偶然でない。私はその老僧から、飯
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