寺院のあることや、そういう旧態の保存されているところは一寸|上方《かみがた》へでも行ったような気のする事を君に言って置いた。この古めかしい空気は、激しく変り行く「時」の潮流の中で、何時まで突き壊《くず》されずに続くものだろうか。とにかく、長い冬季を雪の中に過すような気候や地勢と相待って、一般の人の心に宗教的なところのあるのは事実のようだ。これは千曲川の下流に行って特にそう感ぜられる。
長野では、私も善光寺の大きな建物と、あの内で行われるドラマチックな儀式とを見たばかりだし、それに眺望《ちょうぼう》の好い往生寺の境内を歩いて見た位のもので、実際どういう人があるのか、精《くわ》しくは知らない。飯山の方では私は何となく高い心を持った一人の老僧に逢ってみた。連添う老婦人もなかなかのエラ者だ。この人達は古い大きな寺院を経営し、年をとっても猶《なお》活動を忘れないでいるという風だ。その寺では、丁度|檀家《だんか》に法事があるとやらで、御画像《おえぞう》というものを箱に入れ鄭重《ていちょう》な風呂敷包にして借りて行く男なぞを見かけた。一寸したことだが、古風に感じた。
君は印度《インド》に於ける仏
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