所に過ぎないと言うけれども、万般の設備は始めての私にはめずらしく思われた。雲形や気温の表を製作しつつ日を送る人々の生活なぞも、私の心を引いた。
 やがて私は技手の後に随いて、狭い楼階《はしごだん》を昇り、観測台の上へ出た。朝の長野の町の一部がそこから見渡される。向うに連なる山の裾には、冬らしい靄《もや》が立ち罩《こ》めて、その間の空虚なところだけ後景が明かに透けて見えた。
 風力を測る器械の側で、技手は私に、暴風雨《あらし》の前の雲――例《たと》えば広濶《こうかつ》な海岸の地方で望まれるようなは、その全形をこの信濃《しなの》の地方で望み難いことを話してくれた。その理由としては、山が高くて、気圧の衝突から雲はちぎれちぎれに成るという説明をも加えてくれた。
「雲の多いのは冬ですが、しかし単調ですね。変化の多いと言ったら、矢張夏でしょう。夏は――雲の量に於いては――冬の次でしょうかナ。雲の妙味から言えば、私は春から夏へかけてだろうと思いますが……」
 こう技手は言って、それから私達の頭の上に群り集る幾層かの雲を眺めていたが、思い付いたように、
「あの雲は何と御覧ですか」
 と私に指して尋ねた
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