笑いながら頭を抱《かか》えた。「ひどいひどい――ひどくやられた」
「えッ、やられた?」と亭主も笑った。
「その位はいけやしょう」
「どうして、もう沢山頂いて、実際入りません」とW君は溜息《ためいき》吐《つ》いた後で、「チ、それじゃ、やるか。どうも一ぱい食った――ええ、香の物でやれ」
 楽しい笑声の中に、私は夕飯を済ました。「お前も御馳走に成れ」という亭主の蔭で、細君も飯を始めた。戸棚の中に入れられた小猫は、物欲しそうに鳴いた。山の中のことで、亭主は牛肉を包んだ新聞紙をもめずらしそうに展《ひろ》げて、読んだ。W君はあまり詰込み過ぎたかして、毛布を冠ったまま暫時《しばらく》あおのけに倒れていた。
 炭焼、兎《うさぎ》狩の話なぞが夫婦の口からかわるがわる話された。やがて細君も膳を片付け、馬の飲料にとフスマを入れた大鍋を炉に掛けながら、ある夜この山の中で夫の留守に風が吹いて新築の家の倒れたこと、もしこの小屋の方へ倒れて来たらその時は馬を引出そうと用意したに、彼方《あちら》に倒れて、可恐《おそろ》しい思をしたことを話した。めったに外へ泊ったことの無い夫がその晩に限って本家で泊った、とも話した。

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