私は往来に繋《つな》いである馬の鳴声なぞを聞きながら、そこで凍えた身体を温める。荒くれた人達の話や笑声に耳を傾ける。次第に心易くなってみれば、亭主が一ぜんめしの看板を張替えたからと言って、それを書くことなぞまで頼まれたりする。
松林の奥
夷講《えびすこう》の翌日、同僚の歴史科の教師W君に誘われて、山あるきに出掛けた。W君は東京の学校出で、若い、元気の好い、書生肌の人だから、山野を跋渉《ばっしょう》するには面白い道連だ。
小諸の町はずれに近い、与良町《よらまち》のある家の門で、
「煮《た》いて貰うのだから、お米を一升も持っておいでなんしょ。柿も持っておいでなんすか――」
こう言ってくれる言葉を聞捨てて、私達は頭陀袋《ずだぶくろ》に米を入れ、毛布《ケット》を肩に掛け、股引《ももひき》尻端折という面白い風をして、洋傘《こうもり》を杖につき、それに牛肉を提げて出掛けた。
出発は約束の時より一時間ばかり遅れた。八幡の杜《もり》を離れたのが、午後の四時半だった。日の暮れないうちにと、岡つづきの細道を辿《たど》って、浅間の方をさして上った。ある松林に行き着く頃は、夕月が銀色に光
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