《かじや》がある。高い暗い屋根の下で、古風な髷《まげ》に結った老爺《ろうや》が鉄槌《てっつい》の音をさせている。
この昔気質《むかしかたぎ》の老爺が学校の体操教師の父親《おとっ》さんだ。
朝風の涼しい、光の熱い日に、私は二人ばかり学生を連れて、その家の鍛冶場の側《わき》を裏口へ通り抜け、体操の教師と一緒に浅間の山腹を指して出掛けた。
山家《やまが》と言っても、これから私達が行こうとしているところは真実《ほんとう》の山の中だ。深い山林の中に住む人達の居る方だ。
粟《あわ》、小豆《あずき》、飼馬《かいば》の料にするとかいう稗《ひえ》なぞの畠が、私達の歩るいて行く岡部《おかべ》の道に連なっていた。花の白い、茎の紅い蕎麦《そば》の畠なぞも到るところにあった。秋のさかりだ。体操の教師は耕作のことに委《くわ》しい人だから、諸方《ほうぼう》に光って見える畠を私に指して見せて、あそこに大きな紫紅色の葉を垂れたのが「わたり粟」というやつだとか、こっちの方に細い青黒い莢《さや》を垂れたのが「こうれい小豆」という種類だとか、御蔭で私は種々なことを教えて貰《もら》った。この体操教師は稲田を眺めたばかりで、その種類を区別するほど明るかった。
五六本松の岡に倚《よ》って立っているのを望んだ。囁道祖神《ささやきどうそじん》のあるのは其処《そこ》だ。
寺窪《てらくぼ》というところへ出た。農家が五六軒ずつ、ところどころに散在するほどの極く辺鄙《へんぴ》な山村だ。君に黒斑山《くろふやま》のことは未だ話さなかったかと思うが、矢張浅間の山つづきだ、ホラ、小諸の城址《しろあと》にある天主台――あの石垣の上の松の間から、黒斑のように見える山林の多い高い傾斜、そこを私達は今歩いて行くところだ。あの天主台から黒斑山の裾《すそ》にあたって、遠く点のような白壁を一つ望む。その白壁の見えるのもこの山村だ。
塩俵を負《しょ》って腰を曲《ゆが》めながら歩いて行く農夫があった。体操の教師は呼び掛けて、
「もう漬物《つけもの》ですか」と聞いた。
「今やりやすと二割方得ですよ」
荒い気候と戦う人達は今から野菜を貯えることを考えると見える。
前の前の晩に降った涼しい雨と、前の日の好い日光とで、すこしは蕈《きのこ》の獲物もあるだろう。こういう体操教師の後に随《つ》いて、私は学生と共に松林の方へ入った。この松林は体操
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