んらしいじゃ有りませんか」と理学士はこの新しい弟子の話をして、笑った。その先生はまた、火事見舞に来て、朝顔の話をして行くほど、自分でも好きな人だ。
九月の田圃道《たんぼみち》
傾斜に添うて赤坂(小諸町の一部)の家つづきの見えるところへ出た。
浅間の山麓《さんろく》にあるこの町々は眠《ねむり》から覚めた時だ。朝餐《あさげ》の煙は何となく湿った空気の中に登りつつある。鶏の声も遠近《おちこち》に聞える。
熟しかけた稲田の周囲《まわり》には、豆も莢《さや》を垂れていた。稲の中には既に下葉の黄色くなったのも有った。九月も半ば過ぎだ。稲穂は種々《いろいろ》で、あるものは薄《すすき》の穂の色に見え、あるものは全く草の色、あるものは紅毛《あかげ》の房を垂れたようであるが、その中で濃い茶褐色《ちゃかっしょく》のが糯《もちごめ》を作った田であることは、私にも見分けがつく。
朝日は谷々へ射して来た。
田圃道の草露は足を濡《ぬ》らして、かゆい。私はその間を歩き廻って、蟋蟀《こおろぎ》の啼《な》くのを聞いた。
この節、浅間は日によって八回も煙を噴《は》くことがある。
「ああ復た浅間が焼ける」と土地の人は言い合うのが癖だ。男や女が仕事しかけた手を休めて、屋外《そと》へ出て見るとか、空を仰ぐとかする時は、きっと浅間の方に非常に大きな煙の団《かたまり》が望まれる。そういう時だけ火山の麓《ふもと》に住んでいるような心地《こころもち》を起させる。こういうところに住み慣れたものは、平素《ふだん》は、そんなことも忘れ勝ちに暮している。
浅間は大きな爆発の為に崩されたような山で、今いう牙歯山《ぎっぱやま》が往時《むかし》の噴火口の跡であったろうとは、誰しも思うことだ。何か山の形状《かたち》に一定した面白味でもあるかと思って来る旅人は、大概失望する。浅間ばかりでなく、蓼科《たでしな》山脈の方を眺《なが》めても、何の奇も無い山々ばかりだ。唯、面白いのは山の空気だ。昨日出て見た山と、今日出て見た山とは、殆んど毎日のように変っている。
山中生活
理学士の住んでいる家のあたりは、荒町の裏手で、酢屋のKという娘の家の大きな醤油蔵《しょうゆぐら》の窓なぞが見える。その横について荒町の通へ出ると、畳表、鰹節《かつぶし》、茶、雑貨などを商う店々の軒を並べたところに、可成大きな鍛冶屋
前へ
次へ
全95ページ中29ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング