の校長の細君が十四五人ばかりの女生徒を連れて来ているのに逢った。この娘達も私が余暇に教えに行く方の生徒だ。
 楼上から遠く浅間一帯の山々を望んだ。浅間の見えない日は心細い、などと校長の細君は話していた。
 十九夜の月の光がこの谷間《たにあい》に射し入った。人々が多く寝静まった頃、まだ障子を明るくして、盛んに議論している浴客の声も聞えた。
「身体は小さいけれど、そんな野蛮人じゃねえ」
 理屈《りくつ》ッぽい人達の言いそうな言葉だ。
 翌日は朝霧の籠《こも》った谿谷《けいこく》に朝の光が満ちて、近い山も遠く、家々から立登る煙は霧よりも白く見えた。浅間は隠れた。山のかなたは青がかった灰色に光った。白い雲が山脈に添うて起るのも望まれた。国さんという可憐《かれん》の少年も姉娘に附いて来ていて、温泉宿の二階で玩具《おもちゃ》の銀笛《ぎんてき》を吹いた。
 そこは保福寺《ほうふくじ》峠と地蔵峠とに挟まれた谷間だ。二十日の月はその晩も遅くなって上った。水の流が枕に響いて眠られないので、一旦寝た私は起きて、こういう場所の月夜の感じを味《あじわ》った。高い欄《てすり》に倚凭《よりかか》って聞くと、さまざまの虫の声が水音と一緒に成って、この谷間に満ちていた。その他暗い沢の底の方には種々な声があった。――遅くなって戸を閉める音、深夜の人の話声、犬の啼声《なきごえ》、楽しそうな農夫の唄。
 四日目の朝まだ暗いうちに、私達は月明りで仕度《したく》して、段々夜の明けて行く山道を別所の方へ越した。

     学窓の一

 夏休みも終って、復《ま》た私は理学士やB君や、それから植物の教師などと学校でよく顔を合せるように成った。
 秋の授業を始める日に、まだ桜の葉の深く重なり合ったのが見える教室の窓の側で、私は上級の生徒に釈迦《しゃか》の話をした。
 私は『釈迦譜《しゃかふ》』を選んだ。あの本の中には、王子の一生が一篇の戯曲《ドラマ》を読むように写出《うつしだ》してある。あの中から私は釈迦の父王の話、王子の若い友達の話なぞを借りて来て話した。青年の王子が憂愁に沈みながら、東西南北の四つの城門から樹園の方へ出て見るという一節は、私の生徒の心をも引いたらしい。一つの門を出たら、病人に逢った。人は病まなければ成らないかと王子は深思した。他の二つの門を出ると、老人に逢い、死者に逢った。人は老いなければ成らな
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