種類が頭を持ち上げているのを見る。私は又三月の二十六日に石垣の上にある土の中に白い小さな「なずな」の花と、紫の斑《ふ》のある名も知らない草の小さな花とを見つけた。それがこの山の上で見つけた第一の花だ。

     山上の春

 貯えた野菜は尽き、葱《ねぎ》、馬鈴薯《じゃがいも》の類まで乏しくなり、そうかと言って新しい野菜が取れるには間があるという頃は、毎朝々々|若布《わかめ》の味噌汁《みそしる》でも吸うより外に仕方の無い時がある。春雨あがりの朝などに、軒づたいに土壁を匍《は》う青い煙を眺めると、好い陽気に成って来たとは思うが、食物《たべもの》の乏しいには閉口する。復た油臭い凍豆腐《しみどうふ》かと思うと、あの黄色いやつが壁に釣されたのを見てもウンザリする。淡雪の後の道をびしょびしょ歩みながら、「草餅《くさもち》はいりませんか」と呼んで来る女の声を聞きつけるのは嬉しい。
 三月の末か四月のはじめあたりに、君の住む都会の方へ出掛けて、それからこの山の上へ引返して来る時ほど気候の相違を感ずるものは無い。東京では桜の時分に、汽車で上州辺を通ると梅が咲いていて、碓氷峠《うすいとうげ》を一つ越せば軽井沢はまだ冬景色だ。私はこの春の遅い山の上を見た眼で、武蔵野《むさしの》の名残《なごり》を汽車の窓から眺めて来ると、「アア柔かい雨が降るナア」とそう思わない訳には行かない。でも軽井沢ほど小諸は寒くないので、汽車でここへやって来るに随って、枯々な感じの残った田畠の間には勢よく萌《も》え出した麦が見られる。黄に枯れた麦の旧葉《ふるは》と青々とした新しい葉との混ったのも、離れて見るとナカナカ好いものだ。
 四月の十五日頃から、私達は花ざかりの世界を擅《ほしいまま》に楽むことが出来る。それまで堪《こら》えていたような梅が一時に開く。梅に続いて直ぐ桜、桜から李《すもも》、杏《あんず》、茱萸《ぐみ》などの花が白く私達の周囲に咲き乱れる。台所の戸を開けても庭へ出掛けて行っても花の香気に満ち溢《あふ》れていないところは無い。懐古園の城址《しろあと》へでも生徒を連れて行って見ると、短いながらに深い春が私達の心を酔うようにさせる……
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   「千曲川のスケッチ」奥書

 このスケッチは長いこと発表しないで置いたものであった。まだこの外にもわたしがあの信濃《しなの》の山の上でつくったスケッ
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