かにさわ》まで歩いた。そこまで行くと、始めて千曲川に舟を見る。
川船
降ったり休《や》んだりした雪は、やがて霙《みぞれ》に変って来た。あの粛々《しとしと》降りそそぐ音を聞きながら、私達は飯山行の便船が出るのを待っていた。男は真綿帽子を冠り、藁靴《わらぐつ》を穿《は》き、女は紺色染の真綿を亀《かめ》の甲のように背中に負《しょ》って家の内でも手拭《てぬぐい》を冠る。それがこの辺で眼につく風俗だ。休茶屋を出て川の岸近く立って眺めると上高井の山脈、菅平《すがだいら》の高原、高社山《たかしろやま》、その他の山々は遠く隠れ、対岸の蘆荻《ろてき》も枯れ潜み、洲《す》の形した河心の砂の盛上ったのも雪に埋もれていた。奥深く、果てもなく白々と続いた方から、暗い千曲川の水が油のように流れて来る。これが小諸附近の断崖《だんがい》を突いて白波を揚げつつ流れ下る同じ水かと思うと、何となく大河の勢に変って見える。上流の方には、高い釣橋が多いが、ここへ来ると舟橋も見られる。
そのうちに乗客が集って来た。私達は雪の積った崖に添うて乗場の方へ降りた。屋根の低い川船で、人々はいずれも膝《ひざ》を突合せて乗った。水に響く艪《ろ》の音、屋根の上を歩きながらの船頭の話声、そんなものがノンキな感じを与える。船の窓から眺めていると、雪とも霙ともつかないのが水の上に落ちる。光線は波に銀色の反射を与えた。
こうして蟹沢を離れて行った。上今井《かみいまい》というところで、船を待つ二三の客が岸に立っていた。船頭はジャブジャブ水の中へ入って行って、男や女の客を負《おぶ》って来た。砂の上を離れる舟底の音がしたかと思うと、又た艪の音が起った。その音は千曲川の静かな水に響いてあだかも牛の鳴声の如く聞える。舟が鳴くようにも。それを聞いていると、何とでも此方《こちら》の思った様に聞えて、同行のIの苗字を思出せばそのように、Kの苗字を思出せば又そのように響いて来る。無邪気の娘達は楽しそうに聞き入った。両岸は白い雪に包まれた中にも、ところどころに村々の人家、雑木林、森なぞを望み、雪仕度して岸の上を行く人の影をも望んだ。その岸の上を以前私が歩いた時は、豆粟《まめあわ》などの畠の熟する頃で、あの莢《さや》や穂が路傍《みちばた》に垂下っていた。そう、そう、私はあの時、この岸の下の方に低い楊《やなぎ》の沢山|蹲踞《うずくま》
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