の窪《くぼ》みへは雪が積って、それがウネウネと並行した白い線を描いた中に、枯々な雑木なぞがポツンポツンと立つのも見えた。
 雪国の鬱陶《うっとう》しさよ。汽車は犀川《さいかわ》を渡った。あの水を合せてから、千曲川は一層大河の趣を加えるが、その日は犀川附近の広い稲田も、岸にある低い楊《やなぎ》も、白い土質の崖《がけ》も、柿の樹の多い村落も、すべて雪に掩われて見えた。その沈んだ眺望は唯《ただ》の白さでなくて、紫がかった灰色を帯びたものだった。遠い山々は重く暗い空に隠れて、かすかに姿をあらわして見せた。この一面の雪景色の中で、僅《わず》かに単調を破るものは、ところどころに見える暗い杜《もり》と、低く舞う餓《う》えた烏《からす》の群とのみだ。行手には灰色な雪雲も垂下って来た。次第に私は薄暗い雪国の底の方へ入って行く気がした。ある駅を離れる頃には雪も降って来た。
 この旅は私|独《ひと》りでなく小諸から二人の連があった。いずれも私の家に近いところの娘達で、I、Kという連中だ。この二人は小諸の小学を卒《お》えて、師範校の講習を受ける為に飯山まで行くという。汽車の窓から親達の住む方を眺めて、眼を泣きはらして来る程の年頃で、知らない土地へ二人ぎり出掛るとは余程の奮発だ。でもまだ真実《ほんとう》に娘々したところのある人達で、互に肘《ひじ》で突付き合ったり、黄ばんだ歯をあらわして快活に笑ったり、背後《うしろ》から友達を抱いて車中の退屈を慰めたりなどする。Naiveな、可憐《かれん》な、見ていても噴飯《ふきだ》したくなるような連中だ。御蔭で私も紛れて行った。Iの方は私の家の大屋さんの娘だ。
 豊野で汽車を下りた。そのあたりは耕地の続いた野で、附近には名高い小布施《おぶせ》の栗林《くりばやし》もある。その日は四阿《あずま》、白根の山々も隠れてよく見えなかった。雪の道を踏んで行くうちに、路傍に梨や柿の枯枝の見える、ある村の坂のところへ掛った。そこは水内《みのち》の平野を見渡すような位置にある。私が一度その坂の上に立った時は秋で、豊饒《ほうじょう》な稲田は黄色い海を見るようだった。向の方には千曲川の光って流れて行くのを望んだこともあった。遠く好い欅《けやき》の杜《もり》を見て置いたが、黄緑な髪のような梢《こずえ》からコンモリと暗い幹の方まで、あの樹木の全景は忘られずにある。雪の中を私達は蟹沢《
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