っているのを瞰下《みおろ》して、秋の日にチラチラする雑木の霜葉のかげからそれを眺めた時は、丁度羊の群でも見るような気がした。川船は今、その下を通るのだ。どうかすると、水に近い楊の枯枝が船の屋根に触れて、それを潜り抜けて行く時にはバラバラ音がした。
 船の中は割合に暖かだった。同じ雪国でも高原地に比べると気候の相違を感ずる。それだけ雪は深い。午後の日ざしの加減で、対岸の山々が紫がかった灰色の影を水に映して見せる。私は船窓を開けて、つぶやくような波の音を聞いたり、舷《ふなべり》にあたる水を眺めたりして行った。この川船は白いペンキで塗って、赤い二本の筋をあらわしてある。
 ある舟橋に差掛った。船は無作法《むぞうさ》にその下を潜り抜けて行った。
 黒岩山を背景にして、広々とした千曲川の河原に続いた町の眺めが私達の眼前《めのまえ》に展《ひら》けた。雪の中には鶏の鳴声も聞える。人家の煙も立ちこめている。それが旧い飯山の城下だ。

     雪の海

 一晩に四尺も降り積るというのが、これから越後へかけての雪の量だ。飯山へ来て見ると、全く雪に埋もれた町だ。あるいは雪の中から掘出された町と言った方が適当かも知れぬ。
 この掘出されたという感じを強く与えるものは、町の往来に高く築《つ》き上げてある雪の山だ。屋根から下す多量な雪を、人々が集って積み上げ積み上げするうちに、やがて人家の軒よりも高く成る。それが往来の真中に白壁の如く続いている。家々の軒先には「ガンギ」というものを渡して、その下を用事ありげな人達が往来している。屋内の暗さも大凡《おおよそ》想像されよう。それに高い葭簾《よしず》で家をかこうということが、一層屋内を暗くする。私は娘達を残して置いて、独《ひと》りで町へ出てみた。チラチラ雪の中で橙火《あかり》の点《つ》く頃だった。私は天の一方に、薄暗い灰色な空が紅色を帯びるのを望んだ。丁度遠いところの火事が曇った空に映ずるように。それが落日の反射だった。
 雪煙もこの辺でなければ見られないものだ。実に陰鬱《いんうつ》な、頭の上から何か引冠《ひきかぶ》せられているような気のするところだ。土地の人が信心深いというのも、偶然では無いと思う。この町だけに二十何カ処の寺院がある。同じ信州の中でも、ここは一寸|上方《かみがた》へでも行ったような気が起る。言葉|遣《づか》いからして高原の地方とは
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