、小諸のような砂地の傾斜に石垣を築いてその上に骨の折れる生活を営む人達は、勢い質素に成らざるを得ない。寒い気候と痩《や》せた土地とは自然に勤勉な人達を作り出した。ここの畠からは上州のような豊富な野菜は受取れない。堅い地大根の沢庵《たくあん》を噛《か》み、朝晩|味噌汁《みそしる》に甘んじて働くのは小諸である。十年も昔に流行《はや》ったような紋付羽織を祝儀不祝儀に着用して、それを恥ともせず、否むしろ粗服を誇りとするが小諸の旦那《だんな》衆である。けれども私は小諸の質素も一種の形式主義に落ちているのを認める。私は、他所《よそ》で着て来たやわらか物を脱いでそれを綿服に着更《きが》えながら小諸に入る若い謀反《むほ》人のあることを知っている。要するに、表面《おもて》は空《むな》しく見せてその実豊かに、表面は無愛想でもその実親切を貴ぶのが小諸だ。これが生活上の形式主義を産む所以《ゆえん》であろうと思う。上田へ来て見ると、都会としての規模の大小はさて措《お》き、又実際の殷富《とみ》の程度はとにかく、小諸ほど陰気で重々しくない。小諸の商人は買いたか御買いなさいという無愛想な顔付をしていて、それで割合に良い品を安く売る。上田ではそれほどノンキにしていられない事情があると思う。絶えず周囲に心を配って、旧《ふる》い城下の繁昌を維持しなければ成らないのが上田の位置だ。店々の飾りつけを見ても、競って顧客の注意を引くように快く出来ている。塩、鰹節《かつぶし》、太物《ふともの》、その他上田で小売する商品の中には、小諸から供給する荷物も少くないという。
 思わず私は山の上にある都会の比較を始めた。その日は牛のつぶし初《ぞ》めとかで、屠牛場の取締をするという肉屋を訪ねると、例の籠《かご》を肩に掛けて小諸まで売りに来る男が私を待っていてくれた。私は肉屋の亭主にも逢った。この人は口数は少いが、何となく言葉に重味があって、牛のことには明るい人物だった。
 肉屋の若者等は空車をガラガラ言わせて町はずれの道を引いて行った。私達もその後に随《つ》いて、細い流を渡り、太郎山の裾へ出た。新しい建物の前に、鋭い眼付の犬が五六匹も群がっていた。そこが屠牛場だった。
 黒く塗った門を入ると、十人ばかりの屠手が居た。その中でも重立った頭《かしら》は年の頃五十あまり、万事に老練な物の言振りをする男で、肥った頬に愛嬌《あいきょう
前へ 次へ
全95ページ中62ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング