れるのかと思うと、それが往来の人々であるには驚かされる。
 雪明りで、暗いなかにも道は辿ることが出来る。町を通う人々の提灯《ちょうちん》の光が、夜の雪に映って、花やかに明るく見えるなぞもPicturesqueだ。
 君、私はこの国に於ける雪の第一日のあらましを君に語った。この雪が残らず溶けては了わないことを、君に思ってみて貰《もら》いたい。殊に寒い日蔭、庭だとか、北側の屋根だとかには、何時までも消え残って、降り積った上へと復た積るので、その雪の凍ったのが春までも持越すことを思ってみて貰いたい。
 しかし、これだけで未だ、私がこういう雪国に居るという感じを君に伝えるには、不充分だ。その雪の来た翌日になって見ると、屋根に残ったは一尺ほどで、軒先には細い氷柱《つらら》も垂下り、庭の林檎《りんご》も倒れ臥《ふ》していた。鶏の声まで遠く聞えて、何となくすべてが引被《ひきかぶ》せられたように成った。雪の翌日には、きまりで北の障子が明るくなる。灰色の空を通して日が照し始めると雪は光を含んでギラギラ輝く。見るもまぶしい。軒から垂れる雫の音は、日がな一日単調な、退屈な、侘《わび》しく静かな思をさせる。
 更に小諸町裏の田圃側《たんぼわき》へ出て見ると、浅々と萌《も》え出た麦などは皆な白く埋もれて、岡つづきの起き伏すさまは、さながら雪の波の押し寄せて来るようである。さすがに田と田を区別する低い石垣には、大小の石の面も顕われ、黄ばんだ草の葉の垂れたのが見られぬでもない。遠い森、枯々な梢、一帯の人家、すべて柔かに深い鉛色を帯びて見える。この鉛色――もしくはすこし紫色を帯びたのが、これからの色彩の基調かとも言いたい。朦朧《もうろう》として、いかにもおぼつかないような名状し難い世界の方へ、人の心を連れて行くような色調だ。
 翌々日に私はまた鶴沢という方の谷間《たにあい》へ出たことがあった。日光が恐しく烈しい勢で私に迫って来た。四面皆な雪の反射は殆《ほと》んど堪えられなかった。私は眼を開いてハッキリ物を見ることも出来なかった。まぶしいところは通り過《こ》して、私はほとほと痛いような日光の反射と熱とを感じた。そこはだらだらと次第下りに谷の方へ落ちている地勢で、高低の差別なく田畠もしくは桑畠に成っている。一段々々と刻んでは落ちている地層の側面は、焦茶色の枯草に掩《おお》われ、ところどころ赤黝《あかぐ 
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