白壁《しらかべ》

たれかしるらん花ちかき
高楼《たかどの》われはのぼりゆき
みだれて熱きくるしみを
うつしいでけり白壁に

唾《つば》にしるせし文字なれば
ひとしれずこそ乾きけれ
あゝあゝ白き白壁に
わがうれひありなみだあり

  四つの袖《そで》

をとこの気息《いき》のやはらかき
お夏の髪にかゝるとき
をとこの早きためいきの
霰《あられ》のごとくはしるとき

をとこの熱き手の掌《ひら》の
お夏の手にも触るゝとき
をとこの涙ながれいで
お夏の袖にかゝるとき

をとこの黒き目のいろの
お夏の胸に映るとき
をとこの紅《あか》き口唇《くちびる》の
お夏の口にもゆるとき

人こそしらね嗚呼《ああ》恋の
ふたりの身より流れいで
げにこがるれど慕へども
やむときもなき清十郎

  天馬

   序

老《おい》は若《わかき》は越《こ》しかたに
文《ふみ》に照らせどまれらなる
奇《く》しきためしは箱根山
弥生《やよひ》の末のゆふまぐれ
南の天《あま》の戸《と》をいでて
よな/\北の宿に行く
血の深紅《くれなゐ》の星の影
かたくななりし男さへ
星の光を眼に見ては
身にふりかゝる凶禍《まがごと》の
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