》った小楼の方へ高瀬を誘って行った。「これが湯の元です」というところを通った。先生は岩の間に造りつけてある黒い扉を開けて高瀬に見せた。そこには、隠れた地の底から涌《わ》いて来たままの鉱泉が淀《よど》んでいた。
「どれ、御案内しましょう。まだ畳もすっかり入れてありません」
 先生は隠居さんから受取った鍵で錠前をガチャガチャ言わせて、誰も留守居のない、暗い家の中へ高瀬を案内した。閉めてあった雨戸を繰ると、対岸の崖の上にある村落、耕地、その下を奔《はし》り流れる千曲川が青畳の上から望まれた。
 高瀬は欄《てすり》のところへ行って、川向うから伝わって来る幽《かす》かな鶏の声を聞いた。先生も一緒に立って眺めた。
「高瀬さん、この家は見覚えがありましょう――」
 先生にそう言われると、高瀬にも覚えがある。高瀬は一度小諸を通って先生の住居を訪ねたことがある。形は変えられたが以前の書斎だ。
「どうせ、この建物はこうしてありますから、皆さんにお貸し申します……御|入用《いりよう》の時は、何時でも御使い下さい」
 と言いながら、先生は新規に造り足した部屋を高瀬に見せ、更に楼階《はしごだん》の下の方までも連
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