りつつある。
桜井先生は高瀬を連れて、新開の崖の道を下りた。先生がまだ男のさかりの頃、東京の私立学校で英語の教師をした時分、教えた生徒の一人が高瀬だった。その後、先生が高輪《たかなわ》の教会の牧師をして、かたわらある女学校へ教えに行った時分、誰か桜井の家名を継がせるものをと思って――その頃は先生も頼りにする子が無かったから――養子の話まで仄《ほの》めかして見たのも高瀬だった。その高瀬が今度は塾の教員として、先生の下で働きに来た。先生から見れば弟子か子のような男だ。
石垣について、幾曲りかして行ったところに、湯場があった。まだ一方には鉋屑《かんなくず》の臭気《におい》などがしていた。湯場は新開の畠に続いて、硝子《ガラス》窓の外に葡萄棚《ぶどうだな》の釣ったのが見えた。青黒く透明な鉱泉からは薄い湯気が立っていた。先生は自然と出て来る楽しい溜息《ためいき》を制《おさ》えきれないという風に、心地《こころもち》の好い沸かし湯の中へ身を浸しながら、久し振で一緒に成った高瀬を眺《なが》めたり、田舎風な浅黄《あさぎ》の手拭《てぬぐい》で自分の顔の汗を拭《ふ》いたりした。仮令《たとえ》性質は冷たく
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