小さな別荘も日に日に形を成して行った。霜の来ないうちに早くと、崖の上でも下でも工事を急いだ。
 雪が来た。谷々は三月の余も深く埋《うず》もれた。やがてそれが溶け初める頃、復《ま》た先生は山歩きでもするような服装《なり》をして、人並すぐれて丈夫な脚《あし》に脚絆《きゃはん》を当て、持病のリョウマチに侵されている左の手を懐《ふところ》に入れて歩いて来た。残雪の間には、崖の道まで滲《にじ》み溢《あふ》れた鉱泉、半ば出来た工事、冬を越しても落ちずにある茶色な椚《くぬぎ》の枯葉などが見える。先生は霜のために危く崩《くず》れかけた石垣などまで見て廻った。
 この別荘がいくらか住まわれるように成って、入口に自然木の門などが建った頃には、崖下の浴場でもすっかり出来上るのを待たないで開業した。別に、崖の中途に小屋を建てて、鉱泉に老を養おうとする隠居さん夫婦もあった。
 春の新学年前から塾では町立の看板を掛けた。同時に、高瀬という新教員を迎えることに成った。学年前の休みに、先生は東京から着いた高瀬をここへ案内して来た。岡の上から見ると中棚鉱泉とした旗が早や谷陰の空に飜《ひるがえ》っている。湯場の煙も薄く上
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