まで、高瀬は皆なと一緒に時を送った。学士はそこに好い隠れ家を見つけたという風で、愛蔵する鷹《たか》の羽の矢が白い的の方へ走る間、一切のことを忘れているようであった。
 大尉等を園内に残して置いて、学士と高瀬の二人は復た元来た道を城門の方へとった。
 途中で学士は思出したように、
「……私共の勇のやつが、あれで子供仲間じゃナカナカ相撲が取れるんですとサ。此頃《このあいだ》もネ、弓の弦《つる》を褒美《ほうび》に貰って来ましたがネ、相撲の方の名が可笑《おか》しいんですよ。何だって聞きましたら――岡の鹿」
 トボケて学士は舌を出して見せた。高瀬も子供のように笑出した。
「兄のやつも名前が有るんですよ。貴様は何とつけたと聞きましたら、父さんが弓が御好きだから、よく当るように、矢当りとつけましたとサ。矢当りサ。子供というものは真実《ほんとう》に可笑しなものですネ」
 こういう話を高瀬に聞かせながら帰って行くと、丁度城門のあたりで、学士は弓の仲間に行き逢った。旧士族の一人だ。この人は千曲川の谷の方から網を提げてスゴスゴと戻って来るところだった。
「この節は弓も御廃《おはい》しでサ」
 とその人は元気な調子で言って、更に語《ことば》を継いで、
「もう私は士族は駄目だという論だ。小諸ですこし骨《ほね》ッ柱《ぱし》のある奴は塾の正木ぐらいなものだ」
 学士と高瀬はしばらくその人の前に立った。
「御覧なさい、御城の周囲《まわり》にはいよいよ滅亡の時期がやって来ましたよ……これで二三年前までは、川へ行って見ても鮎《あゆ》やハヤ(鮠)が捕れたものでサ。いくら居なくなったと言っても、まだそれでも二三年前までは居ました……この節はもう魚も居ません……この松林などは、へえもう、疾《とっ》くに人手に渡っています……」
 口早に言ってサッサと別れて行く人の姿を見送りながら、復た二人は家を指して歩き出した。実に、学士はユックリユックリ歩いた。

 烏帽子山麓《えぼしさんろく》に寄った方から通って来る泉が、田中で汽車に乗るか、又は途次《みちみち》写生をしながら小諸まで歩くかして、一週に一二度ずつ塾へ顔を出す日は、まだそれでも高瀬を相手に話し込んで行く。この画家は欧羅巴《ヨーロッパ》を漫遊して帰ると間もなく眺望の好い故郷の山村に画室を建てたが、引込んで研究ばかりしていられないと言っては、やって来た。
 高瀬
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