真理を証するかのように、コップの中でグルグル廻って、身を悶《もだ》えて、死んだ。
「最早マイりましたかネ」と学士も笑った。
 間もなく学士は高瀬と一緒に成った。二人が教員室の方へ戻って行った時は、誰もそこに残っていなかった。桜井先生の室の戸も閉っていた。
 正木大尉も帰った後だった。学士は幹事室に預けてある自分の弓を取りに行って、復た高瀬の側へ来た。
「どうです、弓は。この節はあまり御彎《おひ》きに成りませんネ」
 誘うように言う学士と連立って、高瀬はやがて校舎の前の石段を降りた。
 生徒も大抵帰って行った。音吉が独り残って教室々々を掃除する音は余計に周囲《まわり》をヒッソリとさせた。音吉の妻は子供を背負《おぶ》いながら夫の手伝いに来て、門に近い教室の内で働いていた。
 学士は親しげな調子で高瀬に話した。
「音さんの細君はもと正木先生の許《ところ》に奉公していたんですッてネ。音さんが先生の家の畠を造りに行くうちに、畢寛《つまり》出来たんでしょう……先生があの二人を夫婦にしてやったんでしょうネ」
 二人が塵払《はたき》の音のする窓の外を通った時は、岩間に咲く木瓜《ぼけ》のように紅い女の顔が玻璃《ガラス》の内から映っていた。
 新緑の頃のことで、塾のアカシヤの葉は日にチラチラする。薮《やぶ》のように茂り重なった細い枝は見上るほど高く延びた。

 高瀬と学士とは懐古園の方へ並んで歩いて行った。学士は弓を入れた袋や、弓掛《ゆがけ》、松脂《くすね》の類《たぐい》を入れた鞄《かばん》を提げた。古い城址《じょうし》の周囲《まわり》だけに、二人が添うて行く石垣の上の桑畠も往昔《むかし》は厳《いかめ》しい屋敷のあったという跡だ。鉄道のために種々《いろいろ》に変えられた、砂や石の盛り上った地勢が二人の眼にあった。
 馬に乗った医者が二人に挨拶して通った。土地に残った旧士族の一人だ。
 学士は見送って、「あの先生も鶏に、馬に、小鳥に、朝顔――何でもやる人です。菊の頃には菊を作るし。よく何処の田舎にもああいう御医者が一人位はあるもんです。『……なアに、他の奴等《やつら》は、ありゃ医者じゃねえ、薬売だ、……とても、話せない……』なんて、エライ気焔《きえん》だ。でも面白い気象の人で、近在へでも行くと、薬代が無けりゃ畠の物でも何でも可いや、葱《ねぎ》が出来たら提げて来い位に言うものですから、百姓
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