はある岡の上へ出て來た。
 君、白い鈴のやうに垂れ下つた可憐な草花の一面に咲いた初夏の光に滿ちた岡の上を想像したまへ。私達は、あの香氣の高い谷の百合が斯樣《こんな》に生えて居る場所があらうとは思ひもよらなかつた。B君は西洋で斯の花のことを聞いて來て、北海道とか淺間山脈とかにあるとは知つて居たが、なにしろあまり澤山あるので終には採る氣もなかつた。二人とも足を投出して草の中に寢轉んだ。まるで花の臥床だ。谷の百合は一名を君影草とも言つて、「幸福の歸來」を意味するなどと、花好きなB君が話した。話の面白い美術家と一緒で、牧場へ行き着くまで、私は倦むことを知らなかつた。岡の上には到るところに躑躅《つゝじ》の花が咲いてゐた[#「ゐた」は底本では「山た」]。斯の花は牛が食はない爲に、それで斯う繁茂して居るといふ。
 一周すれば二里あまりもあるといふ廣々とした高原の一部が、私達の眼にあつた。牛の群が見える。何と思つたか、私達の方を眼掛けて突進して來る牛もある。斯うして放し飼にしてゐる牛の群の側を通るのは、慣れない私には氣味惡く思はれた。私達は牧夫の住んで居る方へと急いだ。
 番小屋は谷を下りたところにあ
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