のことを思出したらしい調子で、
「もう五年前だ――」
 と答へた。B君は寫生帳を取出して、灰色なドロ柳の幹、[#改行はママ]
 風に動くそのやはらかい若葉などを寫し寫し話した。一寸散歩に出るにも、斯の畫家は寫生帳を離さなかつた。
 翌日は、私はB君と二人ぎりで、烏帽子が嶽の麓を指して出掛けた。私が牧場のことを尋ねたら、B君も寫生かた/″\一緒に行かうと言出したので、到頭私は一晩厄介に成つた。尤も斯の村から牧場のあるところへは、更に一里半ばかり上らなければ成らない。案内なしに、私などの行かれる場處では無かつた。
 夏山――山鶺鴒――斯ういふ言葉を聞いた丈でも、君は私達の進んで行く山道を想像するだらう。「のつペい」と稱する土は乾いて居て灰のやう。それを踏んで雜木林の間にある一條の細道を分けて行くと、黄勝ちなすゞしい若葉のかげで、私達は旅の商人に逢つた。
 更に山深く進んだ。山鳩なぞが啼いて居た。B君は歩きながら飛騨の旅の話を始めて、十一といふ鳥を聞いた時の淋しかつたことを言出した。「十一……十一……十一……」とB君は段々聲を細くして、谷を渡つて行く鳥の啼聲を眞似て聞かせた。そのうちに、私達
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