つた。そこへ行く前に澤の流れに飮んで居る小牛、蕨を採つて居る子供などに逢つた。牛が來て戸や障子を突き破るとかで、小屋の周圍には柵が作つてある。年をとつた牧夫が住んで居た。僅かばかりの痩せた畑も斯の老爺が作るらしかつた。破れた屋根の下で、牧夫は私達の爲に湯を沸かしたり、茶を入れたりして呉れた。
 壁には鋸、鉈、鎌の類を入れた「山猫」といふものが掛けてあつた。斯樣な山の中までよく訪ねて來て呉れたといふ顏付で、牧夫は私達に牛飼の經驗などを語り、斯の牧場の管理人から月に十圓の手宛を貰つて居ることや、自分は他の牧場から斯の西の入の澤へ移つて來たものであることなどを話した。牛は角がかゆい、それでこすりつけるやうにして、物を破壞《こは》して困ると言つた。今は草も短く、少いから、草を食ひ食ひ進むといふ話もあつた。
 牧夫は一寸考へて見えなくなつた牛のことを言出した。あの山間の深い澤を、山の湯の方へ行つたかと思ふ、とも言つた。
「ナニ、あの澤は裾まで下りるなんてものぢやねえ。柳の葉でもこいて食つてら。」
 斯う復た考へ直したやうに、その牛のことを言つた。
 間もなく私達は牧夫に伴はれて、斯の番小屋を出た
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