りに行きましょう」
 と、ある日お菊は姉のお房を呼んで、二人して私の行く方へ随《つ》いて来た。
 私は子供を連れて、ある細道を養鶏所の裏手の方へ取って、道々草花などを摘んでくれながら歩いた。お房の方は手に一ぱい草をためて、「随分だわ」だの、「花ちゃん、よくッてよ」だのと、そこに居りもしない娘の名を呼んで見て、しきりに会話の稽古《けいこ》をしたり、あるいはお菊と一緒に成って好きな手毬歌《てまりうた》などを歌いながら歩いて行った。
 行っても、行っても、お菊の思うような小諸の古い城跡へは出なかった。桑畠のかわりには、植木苗の畠がある。黒ずんだ松林のかわりには、明るい雑木の林がある。そのうちに、木と木の間が光って、高い青空は夕映《ゆうばえ》の色に耀《かがや》き始めた。
 急にお菊は勝手の違ったように、四辺《あたり》を眺め廻した。そして子供らしい恐怖に打たれて、なんでも家の方へ帰ろうと言出した。
「母さん――母さん」
 お菊は、大久保の通りへ出るまでは、安心しなかった。
「菊《きい》ちゃん、お遊びなさいな」
 こう往来に遊んでいた娘がお菊を見つけて呼んだ。お房の友達もその辺に多勢集っていた。
 夕餐《ゆうはん》の煙は古い屋根や新しい板屋根から立ち登った。鍬を肩に掛けた農夫の群は、丁度一日の労働を終って、私達の側を通り過ぎた。それを眺めて、私は額に汗する人々の生活を思いやった。復た私は長い根気仕事を続ける気に成った。
 熱いうちにも寂しい感じのする百日紅《さるすべり》の花が咲く頃と成った。やがて、亡くなった子供の新盆《あらぼん》、小諸の方ではまた祗園《ぎおん》の祭の来る時節である。冷《すず》しい草屋根の下に住んだ時とは違って、板屋根は日に近い。壁は乾くと同時に白く黴《かび》が来た。引越以来の混雑《とりこみ》にまぎれて、解物《ほどきもの》も、洗濯物も皆な後《おく》れて了ったと言って、家内は縁側の外へ張物板を持出したが、狭い廂《ひさ》の下に日蔭というものが無かった。
 庭の隅《すみ》には枝の細長い木犀《もくせい》の樹があった。まばらな蔭は僅かにそこに落ちていた。軒からその枝へ簾《すだれ》を渡して、熱い土のいきれの中で、家内は張物をしたり、洗濯したりした。
「あれ黒がいけません」
 こう言いながら、お菊は穢《きたな》い宿無し犬に追われて来た。
「菊ちゃん、早く逃げていらッしゃい……なんだってそんな大きな下駄《かっこ》を穿《は》くんですねえ」
 と言って、家内は腰を延ばした。そして苦しそうな息づかいをした。高く前掛を〆《し》めてはいたが、最早醜く成りかけた身体の形は隠されずにある。
 お房の泣く声が聞えた。家内は取縋《とりすが》る妹の方をそこへ押除《おしの》けるようにした。「あ、房ちゃんが復た溝《どぶ》へ陥落《おっこ》ちた」と言って顔を顰《しか》めていると、お房は近所の娘に連れられながら、着物を泥だらけにして泣いてやって来た。
「どうしてそう毎日々々|衣服《おべべ》を汚すんだろう」
 と家内が言ったので、お房はもう身を竦《すく》めるようにして、無理やりに縁側の方へ連れて行かれた。
「母さん、御免……」
 こうお房は拝むように言った。家内は又、この娘を懲《こ》らさないうちは置かなかった。
「房《ふう》ちゃん、どうなさいました」
 と、お房の泣声を聞きつけて、そこへ井戸を隔てて住む「叔母さん」が提げにやって来た。この人はここから麹町《こうじまち》の小学校へ通う女教師である。最早《もう》中学へ行くほどの子息《むすこ》がある。
「衣服《おべべ》を泥になんか成すっちゃいけませんよ。これから母さんの言うことをよく聞くんですよ」
 と裏の「叔母さん」は沈着《おちつ》いた、深切な調子で、生徒に物を言い含めるように言った。お房は洗濯した単衣《ひとえもの》に着更えさせて貰って、やがて復たぷいと駈出《かけだ》して行った。
「母さん、何か……母さん、何か……」
 とお菊はネダリ始めた。何か貰わないうちは母の側を離れなかった。
「泣かなくても、進《あ》げますよ」と家内は叱るように言った。「お煎餅《せんべ》ですよ」
「お煎餅、嫌《いや》――アンコが好い」
「アンコなんか不可《いけ》ません。あんまり食べたがるもんだから、それで虫が出るんですよ――嫌ならお止しなさい」
 と母に言われて、お菊は不承々々に煎餅を分けて貰った。
 その晩は早く夕飯を済ました。薮蚊《やぶか》の群が侘《わび》しい音をさせて襲って来る頃で、縁側には蚊遣《かやり》を燻《いぶ》らせた。蛙《かわず》の鳴く声も聞えた。家内は、遊び疲れた子供の為に、蚊帳を釣ろうとしていたが、
「父さん、どうしたんでしょう……まあ、おかしなことが有る……」
 こう言いながら、ボンヤリ釣洋燈《つりランプ》の側に立った。
「私は物が見えなくなりました……」
 と復た家内が言って、洋燈《ランプ》の灯に自分の手を照らして見ていた。
「オイ、オイ、馬鹿なことを言っちゃ困るぜ」私は真実《ほんとう》にもしなかった。
「いえ、串戯《じょうだん》じゃ有りませんよ、真実に見えないんですよ……洋燈の側なら何でも能く分りますが、すこし離れると最早|何物《なんに》も分りません」
「俺の顔は?」
 私は笑わずにいられなかった。
 その時、家内は手探り手探り暗い押入の方へ歩いて行った。しばらく私もそこに立って、家内の様子を眺めていた。
「早く医者に診て貰うサ」
 と私は励ますように言って見た。
 翌日になると、明るい光線の中では別に何ともないと言って、家内は駿河台《するがだい》の眼医者のところまで診て貰いに行った。滋養物を取らなければ不可《いけない》――働き過ぎては不可――眼を休ませるようにしなければ不可――種々《いろいろ》に言われて来た。
「一つは粗食した結果だ」
 この考えが私の胸に浮んだ。私は信州にある友達の厚意を思って、成るべくこの仕事をする間は、質素に質素に、と心掛けたが、それを通り越して苛酷であった、とはその時まで自分でも気が着かなかった。
 日の暮れないうちに、と家内は二人の娘を連れて買物に出掛けた。その日は、私も疲れて一日仕事を休むことにした。縁側に出て庭の木犀《もくせい》に射《あた》る日を眺めていると、植木屋の裏の畠の方から寂しい蛙の鳴声が夢のように聞えて来る。祗園の祭も近づいた、と私は思った。軒並に青簾《あおすだれ》を掛け連ねた小諸本町の通りが私の眼前《めのまえ》にあるような気がして来た。その辺は私の子供がよく遊び歩いたところである。
「ヨイヨ、ヨイヨ」
 御輿《みこし》を舁《かつ》いで通る人々の歓呼は私の耳の底に聞えて来た。何時の間にか私の心は山の上の方へ帰って行った。
 宿無し犬の黒は私の前を通り過ぎた。この犬は醜くて、誰も飼手が無い。家《うち》の床下からノソノソ這出《はいだ》して、やがて木犀の蔭に寝た。そのうちに、暮れかかって来た。あまり子供等の帰りが遅いと思って、私は門の外へ出て見た。丁度二人の娘は母の手を引きながら、鬼王《きおう》神社の方から帰って来るところであった。
「父さん」とお房が呼んだ。お菊も一緒に成って呼んだ。
「遅かったネ」と私は言って見た。
「今しがたまで、繁ちゃんのお墓でさんざん泣いて来たんですよ」こう家内はそこへ立留って言った。「帰りに八百屋へ寄って、買物をしていましたら、急にそこいらが見えなく成って来て……房ちゃんや菊ちゃんを連れていなかろうものなら、真実《ほんと》に私はどうしようかと……」
「最早《もう》見えないのかい」
「街燈《ガス》の火ばかし見えるんですよ……あとは真暗なんです」
「さあ、房ちゃんも、菊ちゃんも、お家へお入り」
 暮色が這うようにやって来た。私達は子供を連れて急いで門の内へ入った。
 こういう私の家の光景《ありさま》は酷く植木屋の人達を驚かした。この家族を始め、旧くから大久保に住む農夫の間には、富士講の信者というものが多かった。翌日のこと、切下髪《きりさげがみ》にした女が突然私の家へやって来た。この女は、講中の先達《せんだつ》とかで、植木屋の老爺《じい》さんの弟の連合《つれあい》にあたる人だが、こう私の家に不幸の起るのは――第一引越して来た方角が悪かったこと、それから私の家内の信心に乏しいことなどを言って、しきりに祈祷《きとう》を勧めて帰って行った。
「御祈祷して御貰い成すったら奈何《いかが》です――必《きっ》と方角でも悪かったんでしょうよ」
 と植木屋の老婆《ばあ》さんは勝手口のところへ来て言った。義理としても家内は断る訳にいかなかった。
 その日から家内は一人ズツ子供を連れて駿河台まで通った。暑い日ざかりを帰って来て、それから昼飯の仕度に掛かった。信州の牧野君からは手紙の着くのを待つ頃であった。それを手にして見ると、「自分の子供の泣声を聞いたら、さぞ房子さん達も待つだろうと思って、急に手紙を書く気に成った――約束のものを送る」としてあった。私はこの友達の志に励まされて、あらゆる落胆と戦う気に成った。家内には新宿の停車場前から鶏肉だの雑物《ぞうもつ》だのを買って来て食わせた。この俗にいう鳥目《とりめ》が旧《もと》の通り見えるように成るまでには、それから二月ばかり掛かった。
 翌年の三月には、界隈《かいわい》はもう驚くほど開けていた。この郊外へ移って来て、近くに住む二人の友達もあった。私の家では、四番目の子供も産れていた。はじめての男で、種夫とつけた。姪《めい》も一人郷里から出て来て、家からある学校へ通っていた。この月に入って、漸く私は自分の仕事を終った。
 私も労作した。この仕事には、殆んど二年を費した。牧野君からは、早速便りがあって、一緒に心配した甲斐《かい》が有ったと言って、自分のことのように悦んでくれた。骨休めに、遊びに来い、こうも言って寄《よこ》した。私も何処か静かなところでこの疲労に耽《ふけ》りたい、と思った。世帯持のかなしさには、容易に家を飛出すことも出来なかったのである。急に私の家では客が増えた。訪ねて来る友達も多かった。
「母さん、犬殺しよ」
 こうお菊は母の傍へ来て言った。近所の「叔父さん」達が総掛りで何故庭の内を馳《か》け廻るか、彼方是方《あちこち》から飛んで来た犬が何故|吠《ほ》え立てるか、それを知らせに来るほどお菊も物が解って来た。
 お房やお菊はにわかに大きくなった。姉は前髪をとってくれと言うように成ったし、妹は前の年まで歌えなかった唱歌を最早《もう》自由に歌えるように成った。しかし、黒の発達とは比較に成らない。黒が近所へ捨てられた時分は、痩《や》せた、ひょろ長い小犬であったが、一年経つか経たないに、最早一ッぱしの女犬であった――乳房は長く垂下っていた。
 黒も逃げおおせた。犬殺しが手を振って、空車を引いて行った翌々日あたりから、復た私の家の床下では、毎晩この犬のゴソゴソ寝に来る音を聞くように成った。
 私の仕事が世に出る頃、種夫は新宿の医者に掛かった。この大久保で生れた児はとかく弱かった。ある日、家内が種夫を負《おぶ》って、薬を貰いに出掛けようとすると、それをお菊が、見送ると言いながら、植木屋の横手にある小径を通って、畑の方までも随いて行った。
「彼処《あそこ》まで送って上げましょう」
 とお菊は向《むこう》に光る新しい家屋を指して見せて、やがて母と一緒に畑の尽きたところへ出た。新開地らしい道路がそこにあった。
「菊ちゃんここから独りで帰れるの?」
 と母が立留って言った。
 お菊は独りで帰れると言って、桐の若木がところどころに立っている畑の間を帰りかけた。
「母さん」
 こうお菊は振向いて呼んだ。そして母と顔を見合せて微笑《ほほえ》んだ。母は乳呑児を負《おぶ》ったまま佇立《たたず》んでいた。お菊は復た麦だの薩摩芋《さつまいも》だのの作ってある平坦《たいら》な耕地の間を帰ったが、二度も三度も振向いて見た。
「母さん」
 この呼声が通じなくなった頃、お菊はサッサと家の方へ戻って来た。翌日も復たお菊が同じように後を追って行くので、家内も可愛そうに
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