に無い――尤《もっと》も、これは再三再四熟考した上のことで、いよいよ相場師として立とうと決心した、と言出した。
 何か冒険談でも聞くように、しばらく三吉は正太の話に耳を傾けていたが、やがて甥の顔を眺めて、
「しかし君、――実さんにせよ、森彦さんにせよ、皆な儲《もう》けようという人達でしょう。そういう人達が揃《そろ》っていても、容易に儲からない世の中じゃ有りませんか。兜町へ入ったからッて、必ず儲かるとは限りませんぜ」
「実叔父さん達と、私とは、時代が違います」と正太は力を入れた。
「まあ僕のような門外漢から見ると、商売なり何なりに重きを置いてサ、それから儲けて出るというのが、実際の順序かと思うネ。名倉の阿爺《おやじ》を見給え。あの人は事業をした。そして、儲けた。どうも君等のは儲けることばかり先に考えて掛ってるようだ……だから相場なんて方に思想《かんがえ》が向いて行くんじゃ有りませんか」
「そこです。私は相場を事業として行《や》ります。一寸手を出してみて、直ぐまた止《や》めて了うなんて、そんな行き方をする位なら、初から私は関係しません……先《ま》ず店員にでも成って、それから出発するんです……私は兜町に骨を埋《うず》める覚悟です……」
「それほどの決心があるなら、君の思うように行《や》って見るサ。僕は君、何でも行《や》りたか行れという流儀だ」
「そう叔父さんに言って頂くと、私も難有《ありがた》い――森彦叔父さんなぞは何と言うか知らないが……」
 森彦の方へ行けば森彦のように考え、三吉の許《ところ》へ来れば三吉のように考えるのが、正太の癖であった。丁度、この植木屋の地内に住む女教師の夫というは、兜町方面に明るい人である。で、正太は話を進めて叔父からその人に口を利《き》いて貰うように、こう頼んだ。
 何となく不安な空気を残して置いて、甥は帰って行った。「正太さんも本気で行《や》る積りかナア」と三吉は言ってみて、とにかく甥のために、頼めるだけのことは頼もうと思った。その日の午後、三吉は庭伝いに女教師の家の横を廻って、沢山盆栽|鉢《ばち》の置並べてあるところへ出た。植木屋の庭の一部は、やがて女教師の家の庭であった。子息《むすこ》の中学生は三脚椅子に腰掛けて、何かしきりと写生していた。
 女教師の旦那《だんな》というは、官吏生活もしたことの有るらしい人で、今では兜町に隠れて、手堅く
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