首を振って、夫の衰え方は世間の人の思うようなものでは無い、と萎《しお》れながら打消した。
お雪も別れを惜んで、一晩豊世に泊るように、自分の家から名古屋へ発つように、と勧めた。「どうです。そうなすったら」と彼女が言った。豊世は、方角の好い旅舎《やどや》を択《えら》んで、老婆《ばあさん》と二人宿賃を出し合って、名残《なごり》に一夜泊ることを約束して置いて来たから、折角ではあるが、成るならその旅舎から送られて発ちたいと言った。多くの家具を腹の立つほど廉《やす》く売払っても、老婆の給料まで悉皆《すっかり》払って行くことは覚束《おぼつか》ない、いずれ名古屋から送る積りだ、とも言った。
「御勝手の道具で、売って幾何《いくら》にも成らないようなものは、皆なあの老婆《ばあ》やに遣《や》りましたよ」と豊世は附添えた。
お雪は別れの茶を汲《く》んで来た。豊世は直樹の家へも暇乞《いとまごい》に寄ったことを話した。種々な人の噂が出た。三吉は、正太がまだ若くて懇意にした人の中に、お春という娘のあったことなぞをめずらしく言出した。
「叔父さんはよくあんな人のことまで覚えていらっしゃいましたね。私がまだお嫁に来ない前のことでしょう。あの人も嫁いて、最早子供が幾人《いくたり》もあります」と豊世が言った。
「それはそうと」と三吉は笑いながら、「豊世さんを一つ嫌《いや》がらせることが有る。ホラ、名古屋で正太さんが泊ってる家の主婦《おかみ》さん……シッカリ者だなんて、よく貴方がたの褒《ほ》めた……あの人が丹前なぞを造って、正太さんに着せてるといいますぜ――森彦さんが出て来た時、その話でした」
「あんな年寄なら、私は焼きません」
と豊世も串談《じょうだん》のように言って笑ったが、やがて立ちがけに、
「叔父さん、今の御話を……行って宅に仕ても可う御座んすか」
と聞いた。お雪も笑わずにはいられなかった。豊世は、いずれ名古屋へ着いたら、日あたりの好い貸間でも見つけて移る積りだと話して、いそいそと別れを告げて行った。
五月の末に、三吉は正太が名古屋の病院に入ったという報知《しらせ》を受取った。間もなく、彼は病院からの電報を手にした。
「ゼヒアイタイ、スグキテクレ」
としてあった。
それほど正太の病が急に重く成ったとは、三吉には思えなかった。手放しかねる仕事もあり、様子も分りかねたので、名古屋に居
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