ことも出来た。そこで三吉は正太のことを思った。
お雪も楼梯《はしごだん》を上って来て、豊世が置いて行ったという話を夫にした。正太が一つ場所《ところ》に一週間居ると、必《きっ》ともうそこには何か持上っている――正太はお俊にまで掛った――こんなことまで豊世はお雪に話して行ったとかで。
「『真実《ほんと》に、叔母さんは可羨《うらやま》しい』なんて、豊世さんはそんなことを言って帰りましたっけ」
「でも、お前は不平だって言うじゃないか」と三吉は聞き咎《とが》める。
「何にも不平なことは有りません」
こうお雪が力を入れて答えたので、しばらく三吉は妻の顔を眺めていた。
「吾儕《われわれ》が豊世さんから羨《うらや》まれるようなことは何にも無いサ――唯、身体が壮健《じょうぶ》だというだけのことサ」
そう言って置いて、三吉は自分の仕事の方へ行った。
その晩、三吉夫婦は遅くまで正太や豊世の噂をした。子供等が寝沈まった頃、お雪は何か思出したという風で、平素《いつも》にない調子で、
「父さん、私を信じて下さい……ネ……私を信じて下さるでしょう……」
と夫の腕に顔を埋めて、終《しまい》には忍び泣に泣出した。「何を言出すんだ――今更信じるも信じないもないじゃないか」と三吉は言おうとしたが、それを口には出さなかった。彼は黙って、嬉しく悲しく妻の啜泣《すすりなき》を受けた。
いよいよ豊世が名古屋へ発《た》つという前日、駒形の家の方からは、夏火鉢、額、その他勝手道具の類なぞを三吉の許へ運んで来た。その中には正太の意匠で、お俊の絵筆をかりて、小さな二枚戸に落葉を模様のように画かせた置床もあった。
豊世も別れに来た。彼女は自分の使い慣れた道具が、叔父の家の方へ来ているのを眺めて、楽しい河畔の生活もいよいよ終を告げるかと思った。
「今も、一軒お別れに寄って参りましたら、その家の人が、橋本さんは何時《いつ》でもお別れにばかり寄るじゃありませんか、なんて……」
こう豊世は叔父叔母に話して、落着いていたことも少い自分の生涯を聞いて貰いたいという風であった。
「豊世さん、こういう説がありますぜ」とその時、三吉は直樹の老祖母《おばあさん》の話だと言って、正太の生命《いのち》が三年持つものなら、豊世が傍に居ては一年しか持つまい、とあの七十の余までも生き延びた老祖母が言ったことをそこへ持出した。豊世は
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