にして、母は汚《よご》れた寝衣を脱がせた。そして、山を下りる時に着せて連れて来たヨソイキの着物の筒袖《つつそで》へ、お房の手を通させた。
「まあ、こんなに熱いんですよ」
とお雪が言うので、三吉はコワゴワ子供に触《さわ》ってみた。お房の身体は火のように熱かった。
「病院へ行って御医者様に診《み》て頂くんだよ――シッカリしておいでよ」と三吉は娘を励ました。
「母さん……前髪をとって頂戴《ちょうだい》な」
熱があっても、お房はこんなことを願って、リボンで髪を束ねて貰った。
頼んで置いた車が来た。先《ま》ずお雪が乗った。娘は、父に抱かれながら門の外へ出て、母の手に渡された。下婢《おんな》は乳呑児の種夫を連れて、これも車でその後に随《したが》った。
「延、叔父さんもこれから行って見て来るからネ、お前に留守居を頼むよ」
こう三吉は姪に言い置いて、電車で病院の方へ廻ることにした。慌《あわただ》しそうに彼は家を出て行った。
留守には、親類の人達、近く郊外に住む友人などが、かわるがわる見舞に来た。「延ちゃん、お淋《さび》しいでしょうねえ」と庭伝いに来て言って、娘を慰める小学校の女教師もあった。子供の病が重いと聞いて、お雪は言うに及ばず、三吉まで病院を離れないように成ってからは、二番目の兄の森彦が泊りに来た。森彦は夕方に来て、朝自分の旅舎《やどや》へ帰った。
相変らず家の内はシンカンとしていた。道路《みち》を隔てて、向側の農家の方で鳴く鶏の声は、午後の空気に響き渡った。強い、充実した、肥《ふと》った体躯《からだ》に羽織袴を着け、紳士風の帽子を冠《かぶ》った人が、門の前に立った。この人が森彦だ――お延の父だ。その日は、お房が入院してから一週間余に成るので、森彦も病院へ見舞に寄って、例刻《いつも》よりは早く自分の娘の方へ来た。
「阿父《おとっ》さん」
とお延は出て迎えた。
郷里《くに》を出て長いこと旅舎生活《やどやずまい》をする森彦の身には、こうして娘と一緒に成るのがめずらしくも有った。傍《そば》へ呼んで、病院の方の噂《うわさ》などをする娘の話振を聞いてみた。田舎から来てまだ間も無いお延が、都会の娘のように話せないのも無理はない、などと思った。
「どうだね、お前の頭脳《あたま》の具合は――此頃《こないだ》もここの叔父さんが、どうも延は具合が悪いようだから、暫時《しばらく
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