よ。第一、祖父《おじい》さんがそうですし――阿父《おやじ》がそうです――」
「へえ、君の父親さんの若い時も、やはり許諾《ゆるし》を得ないで修業に飛出した方かねえ」
「私だってもそうでしょう――放縦な血が流れているんですネ」
と正太は言ってみたが、祖父の変死、父の行衛などに想《おも》い到った時は、妙に笑えなかった。
やがて庭にある木犀の若葉が輝き初めた。お雪は姪《めい》と連立って、急いで帰って来た。彼女の袂《たもと》の中には、娘の好きそうなものが入れてあった。買物のついでに、ある雑貨店から求めて来た毛糸だ。それをお房にくれた。
「今し方まで菊ちゃんのお墓に居たものですから、こんなに遅くなりました――延ちゃんと二人でさんざん泣いて来ました」
こうお雪は夫に言って、いそいそと台所の方へ行って働いた。
正太がこの郊外へ訪ねて来る度《たび》に、いつも叔父は仕事々々でいそがしがっていて、その日のようにユックリ相手に成ったことはめずらしかった。夕飯の仕度《したく》が出来るまで、二人は表の方の小さな部屋へ行ってみた。畠から鍬《くわ》を舁《かつ》いで来た農夫、町から戻って来た植木屋の職人――そういう人達は、いずれも一日の労働を終って窓の外を通過ぎる。
三吉は窓のところに立って、ションボリと往来の方を眺めながら、
「どうかすると、こういう夕方には寂しくて堪《た》えられないようなことが有るネ――それが、君、何の理由も無しに」
「私の今日《こんにち》の境涯では猶更《なおさら》そうです――しかし、叔父さん、そういう感じのする時が、一番心は軟かですネ」
こう正太が答えた。次第に暮れかかって来た。その部屋の隅《すみ》には、薄暗い壁の上に、別に小窓が切ってあって、そこから空気を導くようになっている。青白い、疲れた光線は、人知れずその小障子のところへ映っていた。正太はそれを夢のように眺めた。
夕飯はお雪の手づくりのもので、客と主人とだけ先に済ました。未だ正太は言いたいことがあって、それを言い得ないでいるという風であったが、到頭三吉に向ってこう切出した。
「実は――今日は叔父さんに御願いが有って参りました」
他事《ほか》でも無かった。すこし金を用立ててくれろというので有った。これまでもよく叔父のところへ、五円貸せ、十円貸せ、と言って来て、樺太《からふと》行の旅費まで心配させたものであっ
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