関《かか》わる」と実の眼が言った。
三吉は兄に金を費《つか》わせることを心苦しく思った。結婚の準備《したく》もなるべく簡単にしたい、借金してまで体裁をつくろう必要は無い、と思った。小泉実はそれでは済まされなかった。
お俊も小学校の卒業に間近く成って、これから何処の高等女学校へ入れたら可《よ》かろうなどと相談の始まる頃には、三吉の前にも二つの途《みち》が展《ひら》けていた。一つは西京の方に教師の口が有った。一つは往時《むかし》英語を学んだ先生から自分の学校へ来てくれないかとの手紙で、是方は寂しい田舎ではあり、月給も少かった。しかし三吉は後の方を択んだ。
春の新学期の始まる前、三吉は任地へ向けて出発することに成った。仙台の方より東京へ帰るから、この田舎行の話があるまで――足掛二年ばかり、三吉も兄の家族と一緒に暮してみた。復た彼は旅の準備《したく》にいそがしかった。彼は小泉の家から離れようとした。別に彼は彼だけの新しい粗末な家を作ろうと思い立った。
四
三吉は発《た》って行った。一月ばかり経って、実は大島先生からの電報を手にした。名倉の親達は娘を連れて、船に乗込む、とある。名倉とは、大島先生が取持とうとする娘の生家《さと》である。
「来る来るとは言っても、この電報を見ないうちは安心が出来なかった。先《ま》ず好かった――実に俺《おれ》は心配したよ」
こう実はお倉を奥座敷へ呼んで言って、早速稲垣をも呼びにやった。稲垣は飛んで来た。
「へえ、名倉さんでは最早《もう》御発ちに成ったんですか。船やら――汽車やら――遠方をやって来るなんて容易じゃ有りません」
と稲垣も膝《ひざ》を進める。賑《にぎや》かな笑声は急に家の内に溢《あふ》れて来た。
実の机の上には、何処《どこ》の料理店で式を挙げて、料理は幾品、凡《およ》そ幾人前、酒が幾合ずつ、半玉が幾人《いくたり》、こう事細かに書いた物が用意してあった。
「時に、銚子《ちょうし》を持つ役ですが」と実は稲垣の方を見て、「君の許《とこ》の娘を借りて、俊と、二人出そうと思いましたがね、それも面倒だし……いっそ雛妓《おしゃく》を頼むことにしました」
「その方が世話なくて好い」とお倉が言葉を添える。「雄蝶《おちょう》、雌蝶《めちょう》だなんて、娘達に教えるばかりでも大変ですよ」
「いや、そうして頂けば難有《ありがた》い」と稲垣も言った。「実は吾家《うち》でもその事で気を揉《も》んでいました。それから式へ出るのは、私だけにして下さい。簡単。簡単。皆な揃《そろ》って押出すのは、大に儲《もう》けた時のことにしましょう――ねえ、姉さん」
「真実《ほんと》に、そうですよ」とお倉は微笑《ほほえ》んで、「私なんか出たくも、碌《ろく》な紋付も持たない」
「まあ、姉さんのように仰《おっしゃ》るものじゃ有りません」と言って、稲垣は手を振って、「出たいと思えば、何程《いくら》でも出る方法は有りますがね――隣の娘なんか借着で見合をしましたあね、御覧なさい、それをまた損料で貸して歩く女も居る――そういう世の中ですけれど、時節というものも有りますからね」
「簡単。簡単」と実も力を入れて命令するように言った。
稲垣は使に出て行った。料理屋へは打合せに行く、三吉の方へは電報を打つ、この人も多忙《いそが》しい思いをした。その電報が行くと直ぐ三吉も出て来る手筈《てはず》に成っていた。
「宗蔵は暫時《しばらく》稲垣さんの方へ行っておれや」
と兄に言われて、宗蔵も不承々々に自分の部屋を離れた。彼は、不自由な脚《あし》を引摺《ひきず》りながら、稲垣の家の方へ移されて行った。
婚礼の日は、朝早く実も起きて庭の隅々《すみずみ》まで掃除した。家の内も奇麗に取片付けた。奥座敷に並べてある諸道具は、丁寧に鳥毛の塵払《ちりばらい》をかけて、机の上から箪笥《たんす》茶戸棚《ちゃとだな》まで、自分の気に入ったように飾ってみた。火鉢《ひばち》の周囲《まわり》には座蒲団《ざぶとん》を置いた。煙草盆《たばこぼん》、巻煙草入、灰皿なども用意した。こうして、独《ひと》りで茶を入れて、香の薫《かおり》に満ちた室内を眺め廻した時は、名倉の家の人達が何時《いつ》来て見ても好いと思った。床の間に飾った孔雀《くじゃく》の羽の色彩《いろどり》は殊《こと》に彼の心を歓《よろこ》ばせた。
弟の森彦からも、三吉の結婚を祝って来た。その手紙には、自分は今|旅舎《やどや》住居《ずまい》の境遇であるから、式に出ることだけは見合せる、万事兄上の方で宜敷《よろしく》、三吉にも宜敷、としてあった。
「貴方、俊の下駄《げた》を買って来ました――見てやって下さい」
こう言って、お倉は娘と一緒に買物から帰って来た。
「どれ、見せろ」と実は高い表付の赤く塗った下駄を引取っ
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