ごと》だぞや」
お春はお仙の傍へ寄った。お種は三吉の方を見て、
「ええええ、これだから眼が離されない……真実《ほんとう》にこういうところは極《ごく》子供だ……そう言えば、お前さん、今年の春もね、正太のお友達が寄って吾家《うち》で歌留多《かるた》をしたことが有った。山瀬さんも来た。あの人は正太とは仲好だから、お仙を側《そば》へ呼んで、貴方《あなた》もお仲間で御取りなさいなッて――ネ。山瀬さんがそう言って下すった。するとお仙が山瀬さんの膝《ひざ》に凭《もた》れて……まあ、無邪気なと言って無邪気な……兄さんだから好いの、お友達だから悪いの、そんな区別はすこしも無いようだ。罪の無い者だぞや」こう話し聞かせた。
その晩は、若いものに取って、一年のうちの最も楽しい時の一つであった。夕方から橋本の家でも皆な盆踊を見に行くことを許された。涼しい夏の夜の空気は祭の夜以上の楽しさを思わせる。暗いが、星はある。恋しい風の吹く寺の境内の方へ自然と人の足は向いて行った。
叔母の家に帰ることを許されたお春も、人に誘われて、この光景《ありさま》を見に行った。大きな輪を作って、足拍子|揃《そろ》えて、歌いながら廻って歩く男女《おとこおんな》の群。他処《よそ》から来ている工女達は多くその中に混って踊った。頬冠りした若者は又、幾人《いくたり》かお春の左右を通り過ぎた。彼女は言うに言われぬ恐怖《おそれ》を感じた。丁度そこに若旦那も来ていた。お春は若旦那に手を引いて貰って、漸《ようや》くこの混雑《ひとごみ》から遁《のが》れた。
九月に入って、三吉は一夏かかった仕事を終った。お種から言えば二番目の弟にあたる森彦の貰われて行った家――この養家も姓はやはり小泉で、姉弟《きょうだい》の生れた家から見ると二里ほど手前にある――そこの老人から橋本へ便りがあった。「三吉も最早東京へ帰るそうなが、わざわざ是方《こちら》へ廻るには及ばん、直に帰れ、その方が両為《りょうだめ》だ」こんなことが書いてあった。
「両為とは、老人も書いてくれた」
こう達雄は、三吉にその手紙を見せて、笑った。この老人の倹約なことは、封筒や巻紙を見ても知れた。
いよいよ三吉の発って行くべき日が近づいた。復た何時《いつ》来られるものやら解らないから、と言って、達雄は酷《ひど》く名残《なごり》を惜んだ。三吉が表座敷で書いた物をも声を出して通読してみた。薬の方の多忙《いそが》しいところを見て貰ったのが、何より東京への土産だ、とも話した。
「三吉さん、来て御覧なさい。君に御馳走《ごちそう》しようと思って頼んで置いた物が、漸く手に入りましたから」
と達雄は炉辺へ三吉を呼んで言った。三吉も帰る仕度やら、土地の人の訪問を受けるやらで、心はあわただしかった。
「三吉」と姉も名残を惜むという風で、「お前さんに食べさせてもやりたいし、持たせてもやりたいと思って、今三人掛りで、この蜂《はち》の子を抜くところだ。見よや、これが巣だ。えらい大きな巣を作ったもんじゃないか」
五層ばかりある地蜂の巣は、漆の柱を取離して、そこに置いてあった。お種はお仙やお春と一緒に、子は子、親に成りかけた蜂は蜂で、一々巣の穴から抜取っていた。この地蜂は、蜜蜂などに比べるとずっと小さく、土地の者の珍重する食料である。三吉も少年の時代には、よく人に随《つ》いて、この巣を探しに歩いたものである。
「母親さん、写真屋が来ましたから、着物を着更えて下さい」
こう正太がそこへ来て呼んだ。
「写真屋が来た? それは大多忙《おおいそがし》だ。お仙――蜂の子はこうして置いて、ちゃっと着更えまいかや。お春、お前も仕度するが可い」とお種は言った。
「嘉助――皆な写すで来いよ」達雄は店の方を見て呼んだ。
記念の為、奥座敷に面した庭で、一同写真を撮《と》ることに成った。大番頭から小僧に至るまで、思い思いの場処に集った。達雄は、先祖の竹翁が植えたという満天星《どうだん》の樹を後にして立った。
「女衆は前へ出るが可い」
と達雄に言われて、お種、お仙、お春の三人は腰掛けた。
「叔父さん、貴方は御客様ですから、もうすこし中央《まんなか》へ出て下さい」
こう正太が三吉の方を見て言った。三吉は野菊の花の咲いた大きな石の側へ動いた。
白い、熱を帯びた山雲のちぎれが、皆なの頭の上を通り過ぎた。どうかすると日光が烈《はげ》しく落ちて来て、撮影を妨げる。急に嘉助は空を仰いで、何か思い付いたように自分の場処を離れた。
「嘉助、何処へ行くなし」とお種は腰掛けたままで聞いた。
「そこを動かない方がいいよ――今、大きな雲がやって来た。あの影に成ったところで、早速撮って貰おう」と正太も注意する。
「いえ――ナニ――私はすこし注文が有るで」
と言って、嘉助は皆なの見ている前を通って、一
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