中村という友達などと共に若々しい思想《かんがえ》を取換《とりかわ》した間柄である。久し振で顔を合せてみると、西は最早堂々たる紳士であった。
西が連れて来て三吉に紹介した洋服姿の人は、やはりこの地方に来ている新聞記者であった。B君と言った。奥の部屋では、めずらしく盛んな話声が起った。
西は三吉の方を見て、
「僕は君、B君なら疾《とう》から知っていたんだがネ、長野に来ていらっしゃるとは知らなかった……新聞社へ行って、S君を訪ねてみたのサ。すると、そこに居たのがB君じゃないか」
「ええ、つい隣に腰掛けるまで、西君とは思いませんでした」と記者も引取って、「それに苗字《みょうじ》は変ってましょう、髭《ひげ》なぞが生えてる、見違えて了《しま》いましたネ。実は西君が来ると言いますから、S君などと散々悪口を利《き》いて、どんな法学士が来るかなんて言っていました――来てみると西君でサ」
西も笑出した。「君、なかなか人が悪いんだよ……僕もね、今度県庁から頼まれてコオペレエションのことを話してくれと言うんで来たのサ。ところが君、酷《ひど》いじゃないか。僕の来る前に、話しそうなことを皆な書いちまって、困らしてやれッて、相談していたんだとサ――油断が成らない――人の悪い連中が揃《そろ》っているんだからね」
西は葉巻の灰を落しながら、粗末な部屋の内を見廻したり、こういう地方に来て引籠《ひきこも》っている三吉の容子《ようす》を眺《なが》めたりした。三年ばかり山の上で暮すうちに、三吉も余程田舎臭く成った。
「B君は寒いでしょう。御免|蒙《こうむ》って外套《がいとう》を着給え」と西は背広を着た記者に言ってみて、自分でもすこし肩を動《ゆす》った。「どうも、寒い処だねえ――こんなじゃ有るまいと思った」
お雪はいそいそと茶を運んで来た。西は旅で読むつもりの書籍《ほん》を取出して、それを三吉の前に置いて、
「小泉君、これは未だ御覧なさらないんでしょう。中村に何か旅で読む物はないかッて、聞いたら、これを貸してくれました。その葉書の入ってるところまで、読んでみたんです――それじゃ御土産がわりに置いて行きましょう――葉書は入れといてくれ給え」
記者もその書籍《ほん》を手に取って見た。「私のように仕事にばかり追われてるんじゃ仕様が有りません。すこし静かな処へ引込んで、こういう物を読む暇が有ったら、と思います」
西は記者の横顔を眺めた。
記者は嘆息して、三吉の方を見た。「貴方なぞは仕事を成さる時に、何かこう自然から借金でも有って、日常《しょっちゅう》それを返さなけりゃ成らない、と責められて、否応《いやおう》なしに成さるようなことは有りませんか――私はね、それで苦しくって堪《たま》りません。自分が何か為《し》なければ成らない、と心で責められて、それで仕方なしに仕事を為ているんです。仕事を為ないではいられない。為《す》れば苦しい。ですから――ああああ、毎日々々、彼方是方《あっちこっち》と馳《かけ》ずり廻って新聞を書くのかナア――そんなことをして、この生涯が何に成る――とまあ思うんです」
「そりゃあ君、確かに新聞記者なぞを為ている故《せい》だよ」と西が横槍《よこやり》を入れた。「廃《よ》してみ給え――新聞を長く書いてると、必《きっ》とそういう病気に罹《かか》る」
「ところがそうじゃ無いねえ」と記者は力を入れて、「私もすこしは楽な時が有って、食う為に働かんでも可いという時代が有りました。やっぱり駄目です。今私が新聞屋を廃《や》めて、学校の教員に成ってみたところが、その生涯がどうなる……畢竟《つまり》心に休息の無いのは同じことです」
「それは、君、男の遺伝性の野心だ。野心もそういう風に伝わって来れば、寧《むし》ろ尊いサ」と西が笑った。
「そうかナア」と記者は更に嘆息して、「――所詮《とても》自然を突破るなんてことは出来ない。突破るなら、死ぬより外に仕方が無い。そうかと言って、自然に従うのは厭《いや》です。何故厭かと言うに、あまり残酷じゃ有りませんか……すこしも人を静かにして置かないじゃ有りませんか……私は、ですから、働かなけりゃ成らんという心持から退《の》いて、書籍《ほん》も読みたければ読む、眠たければ眠る、という自由なところが欲しいんです」
「僕もそう思うことが有るよ」と西は記者の話を引取った。「有るけれども、言わないのサ――言うと、ここの主人に怒られるから――小泉君は、働くということに一種の考えが有るんだねえ。僕は疾《とう》からそう思ってる」
「実際――Lifeは無慈悲なものです」
と復た記者が言った。
「君、君」と西は記者の方を見て、「真実《ほんとう》に遊ぶということは、女にばかり有ることで、男には無いサ。み給え――小説を読んでさえそうだ、只《ただ》は読まない
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