って」
「そう……好く生ったことね」と言ってお雪も摘取りながら、「福ちゃん、此頃《こないだ》姉さんと約束したもの……あれを書いておくれナ。母親《おっか》さんの許《ところ》へ手紙を出すんだから――」
「姉さん、そんなに急がなくたって可《い》いわ」
「だって、どうせ出す序《ついで》だもの」
「それもそうね」と言ってお福は姉の傍へ寄った。
 妹は自分で摘取った莢を姉の前垂の中へあけて、やがて畠を出て行った。お雪はそこに残っていた。
 桑の葉を押分けて、復たお雪が入口の庭の方へ戻って行った頃は、未だ妹は引込んで書いていた。お雪は炉辺の食卓の上に豆の莢を置いて、一つずつその両端を摘切った。
 お福は下書を持って静かな物置部屋の方から出て来た。
「姉さん、これで可《よ》くッて?」とお福は書いたものを姉に見せて言った。
「もうすこし丁寧にお書きな」とお雪が言った。
「だって、どう書いて好いか解らないんですもの」と妹は首を傾《かし》げて、娘らしい微笑《えみ》を見せた。
 お福は姉の勧めに従って、勉と結婚することを堅く約束する、それを楽みにして卒業の日を待つ、という意味を認《したた》めて、お雪に渡した。お雪は名倉の母へ宛《あ》てた手紙の中へこの妹に書かせたものを同封して送ることにした。
 名倉の母からは、お福が行って世話に成るという手紙と一緒に、菓子の入った小包が届いた。遠く離れた母の手紙を読むことは、お雪に取って何よりの楽みであった。お雪はその返事を書いたのである。序に妹のことをも書き加えたのである。
 お雪の許へ宛てて勉からは度々《たびたび》文通が有る。復たお雪は受取った。彼女は勉から来る手紙の置場所に困った。


 ある日、三吉は勉からお雪へ宛てた手紙を他の郵便と一緒に受取った。
「勉さんからはよく手紙が来るネ」
 こう三吉はお雪を呼んで言って、何気なくその手紙を妻の手に渡した。
 どういう事柄が書かれてあるにもせよ、それを聞こうともしなかった程、三吉は人の心を頼んでいた。こういう文通の意味を略《ほぼ》彼も想像しないではなかった。しかし、それに驚かされる年頃でもなかった。彼は、自分が種々なところを通り越して来たように、妻もまた種々なところを通り越して、そして嫁《かたづ》いて来たものと思っていた。お雪も最早二十二に成る。こうして種々な手紙が新しい家まで舞込んで来るのは、別に三吉には不思議でもなかった。唯、妻が自己《おのれ》の周囲《まわり》を見過《みあやま》らないで、従順《すなお》に働いてくれさえすればそれで可い、こう思った。彼には心を労しなければ成らないことが他に沢山有った。
 畠の野菜にもそれぞれ手入をすべき時節であった。三吉は鍬《くわ》を携えて、成長した葱《ねぎ》などを見に行った。百姓の言葉でいう「サク」は最早何度かくれた。見廻る度に延びている葱の根元へは更に深く土を掛けて、それから馬鈴薯の手入を始めた。土を掘ってみると、可成《かなり》大きな可愛らしいやつが幾個《いくつ》となく出て来た。
「ホウ、ホウ」
 と三吉は喜んで眺《なが》めた。
 裏の流で取れただけの馬鈴薯を洗って、三吉は台所の方へ持って行って見せた。お雪もめずらしそうに眺めた。新薯は塩茹《しおゆで》にして、食卓の上に置かれた。家のものはその周囲《まわり》に集って、自分達の手で造ったものを楽しそうに食ったり、茶を飲んだりした。
 その晩、三吉はお福や書生を奥の部屋へ呼んで、骨牌《トランプ》の相手に成った。黄ばんだ洋燈《ランプ》の光は女王だの兵卒だのの像を面白そうに映して見せた。お福はよく勝つ方で、兄や若い書生には負けずに争った。お雪も暫時《しばらく》仲間入をしたが、やがてすこし頭が痛いと言って、その席を離れた。
 炉辺《ろばた》の洋燈は寂しそうに照していた。何となくお雪は身体が倦《だる》くもあった。毎月あるべき筈《はず》のものも無かった。尤《もっと》も、さ程気に留めてはいなかったので、炉辺で独《ひと》り横に成ってみた。
 奥の部屋では楽しい笑声が起った。一勝負済んだと見えた。復た骨牌が始まった。頭の軽い痛みも忘れた頃、お雪は食卓の上に巻紙を展《ひろ》げた。彼女は勉への返事を書いた。つい家のことに追われて、いそがしく日を送っている……この頃の御無沙汰《ごぶさた》も心よりする訳では無いと書いた。妹との結婚を承諾してくれて、自分も嬉しく思うと書いた。恋しき勉様へ……絶望の雪子より、と書いた。


 この返事をお雪は翌日《あくるひ》まで出さずに置いた。折を見て、封筒の宛名だけ認《したた》めて、肩に先方《さき》から指してよこした町名番地を書いた。表面《おもて》だって交換《とりか》わす手紙では無かったからで。お雪は封筒の裏に自分の名も書かずに置いた。箪笥《たんす》の上にそれを置いたまま、妹
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