《の》にも畠《はたけ》にもある事《こと》を知《し》りました。竹籔《たけやぶ》から取《と》つて來《き》た青《あを》い竹《たけ》の子《こ》、麥畠《むぎばたけ》から取《と》つて來《き》た黄色《きいろ》い麥藁《むぎわら》で、翫具《おもちや》を手造《てづくり》にする事《こと》の言《い》ふに言《い》はれぬ樂《たの》しい心持《こゝろもち》を覺《おぼ》えました。
畠《はたけ》の隅《すみ》に堤燈《ちやうちん》をぶらさげたやうな酸醤《ほゝづき》が、父《とう》さんに酸醤《ほゝづき》の實《み》を呉《く》れまして、その心《しん》を出《だ》してしまつてから、古《ふる》い筆《ふで》の軸《ぢく》で吹《ふ》いて御覽《ごらん》と教《をし》へて呉《く》れました。筆《ふで》の軸《ぢく》は先《さき》の方《はう》だけを小刀《こがたな》か何《なに》かで幾《いく》つにも割《わ》りまして、朝顏《あさがほ》のかたちに折《を》り曲《ま》げるといゝのです。その受口《うけくち》へ玉《たま》のやうにふくらめた酸醤《ほゝづき》をのせ、下《した》から吹《ふ》きましたら、輕《かる》い酸醤《ほゝづき》がくる/\と舞《ま》ひあがりました。そして朝顏《あさがほ》なりの管《くだ》の上《うへ》へ面白《おもしろ》いやうに落《お》ちて來《き》ました。
三三 旅《たび》の飴屋《あめや》さん
父《とう》さんの村《むら》へも、たまには飴屋《あめや》さんが通《とほ》りました。旅《たび》の飴屋《あめや》さんは、天平棒《てんびんぼう》でかついて來《き》た荷《に》を村《むら》の石垣《いしがき》の側《わき》におろして、面白《おもしろ》をかしく笛《ふえ》を吹《ふ》きました。
なんと、飴屋《あめや》さんの上手《じやうず》に笛《ふえ》を吹《ふ》くこと。飴屋《あめや》さんは棒《ぼう》の先《さき》に卷《ま》きつけた飴《あめ》を父《とう》さんにも賣《う》つて呉《く》れまして、それから斯《か》う言《い》ひました。
『さあ、おいしい飴《あめ》ですよ。これを食《た》べて、おとなしくして居《ゐ》て下《くだ》さると、復《ま》た私《わたし》が飴《あめ》をかついで來《き》てあげますよ。』
日《ひ》に燒《や》けて旅《たび》をして歩《ある》く斯《こ》の飴屋《あめや》さんは、何處《どこ》か遠《とほ》いところからかついで來《き》た荷《に》を復《ま》た肩《かた》に掛《か》けて、笛《ふえ》を吹《ふ》き/\出掛《でか》けました。
あの飴屋《あめや》さんの吹《ふ》く笛《ふえ》は、そこいらの石垣《いしがき》へ浸《し》みて行《い》くやうな音色《ねいろ》でした。
三四 水晶《すゐしやう》のお土産《みや》
ある日《ひ》、父《とう》さんは人《ひと》に連《つ》れられて梵天山《ぼんてんやま》といふ方《はう》へ行《い》きました。赤《あか》い躑躅《つゝじ》の花《はな》なぞの咲《さ》いて居《ゐ》る山路《やまみち》を通《とほ》りまして、その梵天山《ぼんてんやま》へ行《い》つて見《み》ますと、そこは水晶《すゐしやう》の出《で》る山《やま》でした。父《とう》さんはめづらしく思《おも》ひまして、あちこちと見《み》て歩《ある》いて居《ゐ》ますと、路《みち》ばたに大《おほ》きな岩《いは》がありました。その岩《いは》が父《とう》さんに、彼處《あそこ》を御覽《がらん》、こゝを御覽《ごらん》、と言《い》ひまして、半分《はんぶん》土《つち》のついた水晶《すゐしやう》がそこいらに散《ち》らばつて居《ゐ》るのを指《さ》して見《み》せました。
『あそこにも水晶《すゐしやう》の塊《かたまり》がありますよ。』
とまた岩《いは》が父《とう》さんに指《さ》して見《み》せました。その水晶《すゐしやう》は千本濕地《せんぼんしめぢ》といふ茸《きのこ》のかたまつて生《は》えたやうに、枝《えだ》に枝《えだ》がさしたやうになつて居《ゐ》まして、その枝《えだ》の一つ一つが、みんな水晶《すゐしやう》の形《かたち》をして居《ゐ》ました。
『こんなところから水晶《すゐしやう》が出《で》るんですか。』
と父《とう》さんが聞《き》きましたら、
『えゝ[#「ゝ」は底本では「う」]、さうです。水晶《すゐしやう》はみんな斯《か》うして生《うま》れて來《き》ます。人《ひと》は遠《とほ》いところにばかり眼《め》をつけて、足許《あしもと》に落《お》ちて居《ゐ》る寶石《ほうせき》を知《し》らずに居《ゐ》ますよ。さういふお前《まへ》さんは、この山《やま》は初《はじ》めてゞすか。よく來《き》て下《くだ》さいました。山《やま》の土産《みやげ》に、あそこに落《お》ちて居《ゐ》る美《うつく》しい水晶《すゐしやう》でも一つ拾《ひろ》つて行《い》つて下《くだ》さい。』
斯《か》うその岩《いは》が答《こた》へました。
父《とう》さんはそこいらを探《さが》し廻《まは》りまして、眼《め》についた水晶《すゐしやう》の中《なか》でも一番《いちばん》光《ひか》つたのを土産《みやげ》に持《も》つて歸《かへ》りました。
三五 雄鷄《おんどり》の冒險《ばうけん》
若《わか》い雄鷄《おんどり》がありました。
他《ほか》の鷄《にはとり》と同《おな》じやうに、この雄鷄《おんどり》も人《ひと》の家《うち》に飼《か》はれて大《おほ》きくなりました。小《ちひ》さな雛《ひよ》ツ子《こ》の時分《じふん》から、雄鷄《おんどり》は自分《じぶん》で飛《と》べないものとばかり思《おも》つて居《ゐ》ましたが、だん/″\大《おほ》きくなるうちに、自分《じぶん》に生《は》えて居《ゐ》る羽《はね》を見《み》てびつくりしました。
雄鷄《おんどり》はまだ若《わか》くて元氣《げんき》がありましたから、こんな立派《りつぱ》な羽《はね》があるなら一つこれで飛《と》んで見《み》たいと思《おも》ふやうに成《な》りました。そこで林《はやし》の方《はう》へ出掛《でか》けて行《い》きまして、他《ほか》の鳥《とり》と同《おな》じやうに飛《と》ばうとしました。林《はやし》には百舌《もず》が遊《あそ》んで居《ゐ》ました。百舌《もず》は雄鷄《おんどり》の方《はう》を見《み》ては笑《わら》ひました。そこへ鶸《ひは》も舞《ま》つて來《き》ました。鶸《ひは》は雄鷄《おんどり》の方《はう》を見《み》て、百舌《もず》と同《おな》じやうに笑《わら》ひました。何度《なんど》も何度《なんど》も雄鷄《おんどり》は木《き》の枝《えだ》へ上《のぼ》りまして、そこから飛《と》ばうとしましたが、その度《たび》に羽《はね》をばた/″\させて舞《ま》ひ降《お》りてしまひました。
百舌《もず》には笑《わら》はれる、鶸《ひは》にも笑《わら》はれる、そのうちに雄鷄《おんどり》は餌《え》を欲《ほ》しくなりましたが、林《はやし》の中《なか》にある木《き》の實《み》や虫《むし》はみんな他《ほか》の鳥《とり》に早《はや》く拾《ひろ》はれてしまひました。誰《だれ》も雄鷄《おんどり》のために米粒《こめつぶ》一《ひと》つまいて呉《く》れるものも有《あ》りませんでした。でも、この雄鷄《おんどり》は若《わか》かつたものですから、どうかして飛《と》んで見《み》たいと思《おも》ひまして、木《き》の枝《えだ》へ上《のぼ》つて行《い》つては羽《はね》をひろげました。その度《たび》に舞《ま》ひ降《お》りるばかりでした。
雄鷄《おんどり》はもう高《たか》い聲《こゑ》で閧《とき》をつくるやうな勇氣《ゆうき》も挫《くじ》けまして、
『クウ/\、クウ/\。』
と拾《ひろ》ふ餌《え》もなくて鳴《な》きました。
そこへ山鳩《やまばと》が通《とほ》りかゝりました。山鳩《やまばと》は林《はやし》の中《なか》に聞《き》き慣《な》れない鷄《にはとり》の鳴聲《なきごゑ》を聞《き》きつけまして、傍《そば》へ飛《と》んで來《き》ました。百舌《もず》や鶸《ひは》とちがひ、山鳩《やまばと》は見《み》ず知《し》らずの雄鷄《おんどり》をいたはりました。
『もうすこしの辛抱《しんぼう》――もうすこしの辛抱《しんぼう》――』
と鳴《な》いて、山鳩《やまばと》は林《はやし》の奧《おく》の方《はう》へ飛《と》んで行《い》きました。
饑《かつ》えた雄鷄《おんどり》は一生懸命《いつしやうけんめい》に餌《え》を探《さが》しはじめました。他《ほか》の鳥《とり》に拾《ひろ》はれないうちに、自分《じぶん》で木《き》の實《み》や虫《むし》を見《み》つけるためには、否《いや》でも應《おう》でも飛《と》ばなければ成《な》りませんでした。その時《とき》になつて、初《はじ》めて雄鷄《おんどり》の羽《はね》が動《うご》いて來《き》ました。そして餌《え》らしい餌《え》にありつきました。
雄鷄《おんどり》はこの林《はやし》へ飛《と》びに來《き》て見《み》て、鷹《たか》があんな高《たか》い空《そら》を舞《ま》つて歩《ある》くのも、自分《じぶん》で餌《え》を見《み》つけに行《い》くのだといふことを知《し》りました。
三六 たなばたさま
三|月《ぐわつ》、五|月《ぐわつ》のお節句《せつく》は、樂《たの》しい子供《こども》のお祭《まつり》です。五|月《ぐわつ》のお節句《せつく》には、父《とう》さんのお家《うち》でも石《いし》を載《の》せた板屋根《いたやね》へ菖蒲《しやうぶ》をかけ、爺《ぢい》やが松林《まつばやし》の方《はう》から採《と》つて來《く》る笹《さゝ》の葉《は》で粽《ちまき》をつくりました。七|月《ぐわつ》になりますと、又《また》、たなばたさまのお祭《まつり》の日《ひ》が山《やま》の中《なか》の村《むら》へも來《き》ました。
たなばたさまのお祭《まつり》に飾《かざ》る竹《たけ》は、あれは外國《ぐわいこく》の田舍家《ゐなかや》で飾《かざ》るといふクリスマスの木《き》にも比《くら》べて見《み》たいやうなものです。墨《すみ》や紅《べに》を流《なが》して染《そ》めた色紙《いろがみ》、または赤《あか》や黄《き》や青《あを》の色紙《いろがみ》を短册《たんざく》の形《かたち》に切《き》つて、あの青《あを》い竹《たけ》の葉《は》の間《あひだ》に釣《つ》つたのは、子供心《こどもごゝろ》にも優《やさ》しく思《おも》はれるものです。
三七 巴且杏《はたんきやう》
巴且杏《はたんきやう》の生《な》る時分《じぶん》には、お家《うち》の裏《うら》のお稻荷《いなり》さまの横手《よこて》にある古《ふる》い木《き》にも、あの實《み》が密集《かたま》つて生《な》りました。父《とう》さんは自分《じぶん》の子供《こども》の時分《じぶん》と、あの巴且杏《はたんきやう》の生《な》る時分《じぶん》とを、別々《べつ/\》にして思《おも》ひ出《だ》せないくらゐです。巴且杏《はたんきやう》は李《すもゝ》より大《おほ》きく、味《あぢ》も李《すもゝ》のやうに酸《す》くはありません。あの木《き》は、先《さき》の方《はう》の少《すこ》し尖《とが》つて角《つの》の出《で》たやうな、見《み》たばかりでもおいしさうに熟《じゆく》したやつを毎年《まいねん》どつさり父《とう》さんに御馳走《ごちそう》して呉《く》れましたつけ。
三八 鰍《かじか》すくひ
父《とう》さんの兄弟《きやうだい》の中《なか》に三つ年《とし》の上《うへ》な友伯父《ともをぢ》さんといふ人《ひと》がありました。この友伯父《ともをぢ》さんに、隣家《となり》の大黒屋《だいこくや》の鐵《てつ》さん――この人達《ひとたち》について、父《とう》さんもよく鰍《かじか》すくひと出掛《でか》けました。
胡桃《くるみ》、澤胡桃《さはくるみ》などゝいふ木《き》は、山毛欅《ぶな》の木《き》なぞと同《おな》じやうに、深《ふか》い林《はやし》の中《なか》には生《は》えないで、村里《むらさと》に寄《よ》つた方《はう》に生《は》えて居《ゐ》る木《き》です。漆《うるし》の葉《は》を大《おほ》きくしたやうなあの胡桃《くるみ》の葉《は》の茂《しげ》つたところは、鰍《かじか》の在所《ありか》を知《し》らせるやうなものでした。何故《な
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